きちんとした記事にまとめるかもしれないことのメモ、雑記。
2019-05-24 aoTuV 信者なのに 訳あって qaac
を試すことに…。iTunes をインストールしないでエンコーダーだけ使う方法について、「[Avisynth] qaacの導入」という日本語の記事が直線的で分かりやすかった(icudt49.dll
がバージョンアップしている)。別の場所ではバッチファイルも配布されているが…。
なぜ AAC より Vorbis を好むか。
客観的理由。統計の数値上では、低レートでは AAC が Vorbis よりわずかに良いとされる。しかし、実際に試すとすぐ分かるが、そこそこのレートがあれば、どちらも ABX できない(=人間の耳にとっては、事実上どちらでも同じ)。だったら権利関係ゴチャゴチャより、自由でオープンな方が気分がいい。ダウンロード・解凍するだけですぐ使える oggenc
が…。数学的な意味での高品質が欲しければ WV の非可逆があるし、「完全」な音質が欲しければ WV の可逆や FLAC など。だから、高レートの AAC には「それでなければ」という必然性がない。低レートなら確かに AAC は選択肢の一つだが、どのみち映像のレートがざっと1000を超えるオーダーなのに、音声のレートを10や20削って(そして音をひずませて)何がしたいのか。不合理。
主観的理由。MKV/MP4 の前の OGM の時代からいろいろ試してきたので、Vorbis には愛着がある。「MP3音声のAVI」の時代に「Vorbis音声のOGM」を布教したこともあるし、MKV が誕生したときの公式サンプルも Vorbis 音声で作った。加えて、aoTuV には「日本の技術」という面もある。
AAC が「嫌い」なわけではなく、PsyTEL 時代に始まって Nero も Apple も使ってはいるが、肥大化した今の iTunes をインストールするのはさすがに気が重い。インストールするなら LAN ケーブルを抜いてからだな…。それか VM 上にインストールするか…。とまじで考えてたので、上記「豆知識」はありがたかった。
肯定的な面として、qaac
には、エンコーダー・ディレイを(ほぼ)打ち消してくれる(らしい)オプションがある(lame -t
のアグレッシブ・バージョンみたいな)。ディレイについては入力時点でサンプル単位で削るのが最善かもしれないが、動画の音ズレ問題を考えてくれてる、というだけでもうれしい。上記のように「通常の用途では実質同じ」なので、Vorbis から AAC に乗り換える気はないけど、逆に AAC派の人が Vorbis に乗り換える必要もないかと。
2019-05-26 qaac
の音ズレ対策 MP4動画の音声として使う場合、デフォルトでは、実測で約2112サンプルの音ズレが発生(48000 Hz)。--no-delay スイッチは、これを回避してくれる。このオプションの効果は、音声のエンコード前にWAV冒頭を 2112 サンプル削るのと同じ(MP3 で 1105 サンプル削るハックと似ている)。ただし、--no-delay でも冒頭削りでも、テスト・サンプルでは音声全体が 896 サンプル長くなった(動画では全く実害ないが、どうしても sample-accurate にしたければ、エンコード前に増加分だけ末尾のサンプルを削ればいい)。
テスト設定は qaac --tvbr 91 で入力は16ビットWAV。
知らずにデフォ設定で AAC エンコして、ディレイを発生させてしまってる人もいるだろうが、それほど実害ないのでご安心を…。2112 サンプルは44 msで、確かに 24 fps の映像と1フレームずれるし、MP3 で起きる 1105サンプルの音ズレより(相対的には)被害が大きい。けれど、人間の音声タイミング認識はそこまで厳密ではなく、普通に娯楽で楽しむ動画では、ほとんど分からない程度の差。「スピーカーと耳の距離が3~4メートルあるだけで、光速・音速の差のせいで、どうせ10 msオーダーの音ズレが起きる」ことを思い出そう!
とはいえ、もちろん A/V がずれない方がいい。特に lame
のデフォ設定(-t
なし)は、動画用ではお勧めできない。qaac
の場合、調子に乗って --no-smart-padding スイッチも付けると --no-delay の効果がなくなるようだ。「音声だけ」を考えるなら --gapless-mode 1 も一定の効果を持つが「動画の音声」としては、効果がプレーヤー依存になり、かえって逆方向に音ズレする可能性もありそう。普通の設定プラス --no-delay が簡便で効果的かと。冒頭に無音がなく、いきなり爆音から始まる動画の場合は、別の手を考える必要がある。
注: AAC音声/MP4動画をお勧めしてるわけではない。筆者は Vorbis/MKV派。
1フレーム差の実害が小さいというのは「映像/音声のズレ」の話。「映像/字幕のズレ」が1フレームあるのは、絶対に許されない(はっきり視認でき、はっきり汚い)。では「音声/字幕」のズレは? 音が 50 ms(0.05秒)遅れた場合、カラオケでは「字幕の色変化が(歌に対して相対的に)少し早くなる」のが視認できるが、カラオケ字幕は早めに変わってちょうどいいくらいなので、エンドユーザー視点では案外どうでもいい違いだったりする。V/S のズレは厳しいが、A/V、A/S のズレは比較的許容度が高い(字幕が出るタイミングは、むしろ声が始まるタイミングより早めなのが正しい)。
2020-08-17 aoTuV Vorbis 更新
Windows用のバイナリーが本日 RareWares で公開されました。
https://www.rarewares.org/ogg-oggenc.php [プライバシー懸念: G.anal. のみ。JS無効で回避可]
aoTuV部分は b6.03 のままで、libvorbis が 1.3.6 から 1.3.7 に。修正されたのは、普通ではあり得ない状況(極端に低いレート、実用上意味のない異常な引数など)におけるメモリー関係の不具合など。技術的には不具合修正ですが、通常のエンコードにおける音質などには、全く無関係。
実は libvorbis 1.3.7 は2020年7月にリリースされ、RareWares のバイナリーもすぐ公開されたのですが、--version 文字列が間違ってました…本日のビルドで、その点が修正されました。既に 1.3.7-aoTuV を導入された方は、せっかくなので、正しいバージョンが表示される新ビルドをご検討ください。1.3.6 のままでも、普通の使用では何も実害ないです。出たとたんの新バージョンに飛び付くのは、むしろ潜在的リスクが…
拡張子 .ogg の Vorbis は、パテントフリーで自由に使え、MP3 に比べると圧倒的に高音質。Wikipedia, Wiktionary などの音声ファイルのデフォなので、意識せず使ってる方も多いでしょう。aoTuV…通称「蒼粒」…は、エンコーダーの間では、その Vorbis の事実標準。日本語圏で生まれた素晴らしいソフトウェア。公式サイトは…
https://ao-yumi.github.io/aotuv_web/index.html
…クリーンな(プライバシー懸念の低い)日本語のページです。
AAC で圧縮した方が計算上得になる場合もありますが(3.5メガが3.3メガになる、みたいな)、そもそもそんなギリギリでなく、余裕を見て 20 kbpsくらいプラスしておけば…。っていうか、非可逆圧縮しないで、全部ロスレスで保持しておくのが、一番安全だけどね!
2019-06-19 MP4: foobar2000のタギングの問題点と解決法 foobar2000 や Mp3tag (以下fb2k)を使ってMP4ファイル(オーディオまたは動画)にタグを付けるのは簡単便利だが、これらのツールは同じタグを2カ所に書き込む(恐らく互換性のために、あえて)。5000 KBのMP4ファイルに300 KBのカバーアート(画像)を付けたとすると、5300 ではなく5600 KBになってしまう! そればかりか、mp4box を信じるなら、このタギング方式は ISO 非互換。iTunes 標準の moov.udta.meta はいいのだが、moov.udta.tags の方は「一部のプレーヤーが勝手に使っている独自拡張」らしい。
このような fb2k タイプのMP4ファイルをクリーンにする方法を発見した。上記の例でいうと、音質(画質)には影響なく、標準のタグもカバーアートも保ったままで、ファイルを300 KB小さくできる!
原理としては、不要な moov.udta.tags 全体をバイナリーで除去、除去されるバイト数を x として、moov と moov.udta のサイズフィールドの値(32ビット)をそれぞれ x だけ小さくする(書き換え1)。全トラックについて、stco ボックスの全エントリーも x だけ小さくする必要がある(書き換え2)。手動でやるとすれば、バイナリーエディターで tags
の4文字を探す。その前の4バイトが x。とりあえず tags
の4文字を free
と上書きし、書き換え1(4バイトが2カ所だけなので手動でも実行可能)の後、fb2k の「ファイルサイズを最小化するツール」を使うと、free ボックスの除去&書き換え2をやってくれる。全部まとめて自動でやるツールを試作したが、まだ公開できる段階ではない。Apple の定義にないカスタムタグについては、別途考える必要がある。
2019-09-11 伝説の(?)「キーボードクラッシャー最初の字幕版」はこうして生まれた 「みんなきてKOIKOI」「爆裂!カップメン」のKOI2さんが、2006年3月17日の日記で「心が壊れるくらいに笑ってしまった。いったい何にここまで興奮している」…「誰か翻訳をぜひ!」と、元の動画(2006年2月15日にエンコードされている)を紹介。
KOI2さんのファンだった筆者は、さっそく仲間に動画を見せた。ドイツ語圏のメンバーも大笑いし、自分から「これに字幕を付けよう」と言い出した。英語、日本語、繁体字中国語(台湾)の順で字幕が作成され、ほぼ同時公開(音声を書き起こしたドイツ語版字幕も作成しているが、これは公開していない)。日本語・中国語版は自鯖で配布した。日本語版は微妙に違うバージョンがあり「Escapeキー」を「Escapeたん」と呼ぶバージョンがファイナルらしい。ファイルのタイムスタンプを見ると、初期型が2006年3月24日、「Escapeたん」バージョンは25日。3月17日の日記をその頃読んで、速攻で作った。10年以上前なので細かいことは覚えてないが、KOI2さんのリクエストで遊びとして作られ、それを誰かが動画サイトに転載して、それがまた転載されたりして、今に至る(らしい)。
「キーボードクラッシャー」のキャラ&あの動画が有名なことは知ってたが、あのとき自分たちが作った字幕部分も日本語圏では結構有名…ってのは実は知らなかった。「アンリアルゲーマー」という呼び方自体、ここであれを配布したときのファイル名 unreal_gamer.avi の名残らしい。まあ、原作本体が面白いからこそ、コバンザメ的に字幕も有名になっただけでしょう。
あの迫真の演技について今さら語ることはないが、Escapeキーのネタはアドリブなのだろうか。大ざっぱな流れは当然決まっていたのだろうが、脚本があったとして、特定のキーキャップが脚本通りに外れるように演技できるものなのか…。アドリブで「おれには サポセンなんて いらねえんだ」「一人で解決できるからな」の名せりふを言ったのなら、すげえ才能…。どっちにしても、既にすげえ演出だったけど(笑)。だけど今思うと…。「明らかに狂ってる」という設定のキャラが「おれは手助けなんて必要としていない。おれは大丈夫、何も問題ない、うひゃひゃひゃ」と狂った調子で言う…そのアイロニーがうまく訳せてない。あと「Escapeキー」より「Escキー」の方が自然だったかも。最大の欠陥は、もともと音声がモノラルだったのを(多分)オーディオエディターで適当に疑似ステレオ化したこと。何でこんなことしたのか覚えてないが、これは大失敗だった(音源が動く感じがして気持ち悪い)。
字幕のスタイルは質素だが、当時使ったスクリプトを確認してみると、最後のフェイドアウトで「速度差シャドウ」が使われている。コピーを繰り返し劣化しまくっている現存バージョンでは、フェイドの微妙な違いなんて分からないだろうけど、これはその時点では最先端の技。実験精神が旺盛だった時期なので、ついオーディオもいじってしまったんだろう。
2019-10-19 MKV「新仕様」問題を3行でまとめると
字幕を作らない・使わない人には関係ない(詳細)。
2019-11-07 PS4の西部劇、MP4のカバーアート
世界的に人気の高いゲームがPCに移植され、5日にリリースされたのだが、いろいろ不具合があったらしい。「CPU負荷100%でフリーズしてしまい、そもそもプレイできない」というのもその一つ。思わぬ影響で、ものすごい数のゲーマーがこの辺境サーバーに殺到した。昔作った「プロセスをわざと遅くするツール」(エンコ中の発熱抑制用)が問題回避に役立つらしい。お役に立てることはうれしいけど、関係ない商用ゲームの尻ぬぐいでサーバーが落ちたら困るので、archive.org に直リンして、そっちから落としてもらう形にした。
話変わって、foobar2000。最近のベータを試してみた。「MP4にカバーアートを付けると、同じ画像を2カ所に埋め込む」というサイズ的に無駄な仕様が多少改善され、MP4の標準準拠に近づいていた。書き込むパターンによっては、標準の moov.udta.meta の代わりに moov.udta.tags という独自の場所に書き込んでしまうが(不具合というより仕様らしい)、そうならないこともあるようだ(検証中)。恐らくこの問題の根源は、MP4コンテナでは添付ファイルに「そのファイルが何なのか」というコメントを書き込む場所がない…ということ。仕様上「表紙・裏表紙・背表紙・歌詞カード」といったコメントを付けられない。
それを無理やり付ける方法として covr (カバーアート)の代わりに cvrx (カバー拡張)という独自ボックス(アトム)が使われるらしい。そんな仕様無視のむちゃくちゃ(★注)するくらいなら MKA に入れれば、添付ファイルにコメントできるし、添付ファイル名も保存できるのだが…いかんせん、伝統的にオーディオマニアの間では MKA の人気はあまり良くないようだ。10年以上前、サンプル単位の精度がなかったのが、尾を引いているのかもしれない。問題自体はとっくに解決済みだが、イメージが回復したかは疑問。
(★注)この位置の添付画像は、MPC系からもLAVからも見えない。つまり互換性(相互運用性)が低い。
しかし MKA は多目的フォーマット。将来「画像なしの字幕付きMKA」が広くサポートされるようになれば、ラジオドラマ(オーディオドラマ)に字幕を付けるという用途で MKA が普及する可能性は十分に考えられる。
2020-06-08 23世紀のMatroskaユーザーが困ること メディアコンテナ、レート感覚
Matroska形式のメディアファイル、特に拡張子MKVの動画は、かなり一般的に使われている(webm としてウェブ標準の一つともなっている)。動画のエンコードに興味ある方なら、一度は使ったことがあるだろう。
このフォーマット、EBML というものをベースにしている。HTMLにちょっと詳しい人なら、おなじみの入れ子構造。「html
要素の中に head
要素があって、head
要素の中に title
要素があって…」みたいな。EBMLはそのバイナリー版であり、Matroska という名前も、それにちなむ(ロシアの入れ子の人形)。で、Matroskaのヘッダには SegmentInfo
という要素があり、その中に DateUTC
という要素がある。DateUTC
の値は、これを書いている時点で、次のように定義されている。
https://github.com/cellar-wg/ebml-specification/blob/master/specification.markdown#user-content-date-element
The Date Element stores an integer in the same format as the Signed Integer Element that expresses a point in time referenced in nanoseconds from the precise beginning of the third millennium of the Gregorian Calendar in Coordinated Universal Time (also known as 2001-01-01T00:00:00.000000000 UTC). This provides a possible expression of time from 1708-09-11T00:12:44.854775808 UTC to 2293-04-11T11:47:16.854775807 UTC.
普通の人なら「なんか技術的なことが書いてあるなぁ」と読み流すところかもしれないが、よく読むと…。まず「UTC で計ってナノ秒単位の時間差を書け」というのは、うるう秒の扱いが絡んでくる。いっそのこと「うるう秒はカウントしない」とでも仕様で言い切ってしまった方がいいかも…。さらに、最小と最大のタイムスタンプが、両方とも間違っている。正しく計算した値と並べると…
1708-09-11T00:12:44.854775808 wrong 1708-09-22T00:12:43.145224192 correct 2293-04-11T11:47:16.854775807 wrong 2293-04-11T23:47:16.854775807 correct
最大値は単にタイプミスかもしれないが、最小値はタイプミスだけでなく、本格的に計算が間違っている。
細かい誤字や計算ミスはとりあえずどうでもいいとして、一番気になる点は、この仕様だと、300年もいかないでタイムスタンプがオーバーフローしてしまうということ。開発側で「このフォーマットは、300年もたない」という自信(?)があったのだろうか。MKV自体はすたれたとしても、骨格のEBMLは(XMLもそうだが)、意外と生き残る可能性がある。仮に23世紀でもまだ使われていた場合、西暦2293年問題が生じるのは明白。西暦2000年問題の手痛い教訓の直後で生まれた Matroska において…それも自在な拡張性を誇るEBMLにおいて…なぜ、こんなところでケチって、タイムスタンプを8バイト固定にしてしまったのだろう! せめてあと1バイトあれば、範囲が256倍になったのに…。どうせ本当の実装では Void
要素でパディングしまくるのだから、こんなところでケチケチせず、タイムスタンプは16バイトにしておけば良かったのに…。今ごろ言っても、後の祭り。「どうせ自分は2293年まで生きていないから、自分には関係ないし…」みたいなことになるのでしょう。
ところで、世の中には MP4 をはじめ、さまざまなファイル形式がありますが、それらと比べた場合、Matroska というのは、どういう性質のものなのでしょうか。いろいろな議論があるでしょうが、核心となるのは、ユーザーのニーズから(草の根から)生まれた「たたき上げ」のフォーマットであること、つまり大企業や国際組織が制定して「上から押し付けた」フォーマットではないという点ではないでしょうか。BD や DVD は、建前上はリッピングできないことになっていて、従ってMP4で公式サポートされることはないでしょうが、ユーザーのニーズから生まれたMKVなら、リッピングしたデータをそのまま入れることも…(サイズが大きくなり過ぎるので、普通は再圧縮するでしょうが…)。音声部分としても、AACはもちろん、Vorbis、FLAC、WavPack、AC3、DTSなど、ユーザーが使いたいものをそのまま使える。特に、字幕トラックを含めたい場合、MP4やOGMやAVIに比べ、MKVは圧倒的な優位性を持つ。
しかし長所があれば、短所もあるもの。MKVの「イケてない」点として 24000/1001 fps のフレームのタイムスタンプを(直接的には)正確に表現できない…。字幕のタイムスタンプをフレームと精密に同期させるのが難しい(フォーマットというより再生側の問題もあるが、字幕のタイミングとして、直接的にフレーム番号を指定することができない)。Matroska の関係者は、ヨーロッパ人が多いようだ…。字幕の形式も、イギリスやハンガリーに起源を持つ。ヨーロッパの人々は、無意識のうちに「25 fps が当たり前=タイムスタンプは整数40ミリ秒で割り切れる」という感覚を持っているのかもしれない。その感覚で開発を進めた場合、割り切れない 24000/1001 fps の地域(北米や日本)では、厄介な問題が生じ得る。米国のマイクロソフトが作った AVI は、今では古くさいと見られることが多いが、ちゃんと分数のレートを表現可能。やはりヨーロッパと北米での「フレームレート感覚」の違いみたいなものが影響しているのかもしれない。
2020-11-25 テクスチャーのあるカラオケ
カラオケ字幕の文字のフェイスにテクスチャーをはりつける手法も記事化したい。一応、昔 VSFilterMod なるものもあったが…。テクスチャーが動的な場合、例えば文字の中で火が燃えているような(文字の輪郭内で別の動画がオーバーレイされている)カラオケ。AVS使いにとっては原理は簡単でも、エンコと字幕は別分野なので、AVSとASSを組み合わせる手法には、意外と未開拓な部分がある。ASSレベルのカラオケは、ほぼ完全に、悪趣味なまでに開拓されてしまったが、もしかするとユーザーは自動化に毒されてしまい、その枠の中でしか考えられないという副作用もあるのでは?
2020-11-30追記: フォントのグリフそのものを自作するというオプションもあり、(ベクトル)画像、フォント作成、字幕テキスト、動画処理などが絡み合う。
2019-04-01 内容がなくても面白い ウテナ関連のものを取り寄せようとしたら、エッチなものと誤解されたらしく、税関で止められてしまった。
全体としては中身のないチープな作品だけど(悪く言えばベルばらの劣化コピー)、好きな部分も多かった…。「時に愛は」のダンスシーン、超きれい。影絵少女の声、好きだった。アンシーとか紫亜ちゃんみたいな陰性タイプに萌え。
内容が充実してる方がいいのは当然として、内容・意味がなくても形式そのものが面白い、ってパターンもあるよね。
2019-04-04 ↑ 形式だけで内容が希薄なので「お金を払ってまで全部見る価値がある」とはいえない。形式が面白いところだけ見れば、足りてしまう。それ以外は退屈とさえいえる。
2019-04-05 ベルばら あの原作なら、誰が料理しても名作になる。素材の上で、あぐらをかいてるだけでも楽勝。そこにさらに出﨑統(おさむ)。妹が飛び降りるときの噴水の使い方、少女目線(?)の下から大人の顔を見上げるような不安げなカメラアングル…。「ただの背景の小物だよ~」「別に技法自体を見せたいわけじゃないんだよ~」的なさりげない演出が鬼。
パチ物のウテナは「駄菓子のような素材で、あの創作料理を作った」んだから「料理自体の腕はむしろ上」といえるのでは(笑)。「安い駄菓子にほれ込める、良い意味でのばか」にしかできない料理法だと。「本物のシェフは駄菓子を使ってフランス料理を作れる!」いやいや、そんな仕事、断るのが本物(笑)。でも仕事を選べない大人の事情。だったらこれでやってやる…。ベルばらの噴水が「秘すれば花」なら、ウテナの洗車マシーンは「好き勝手絶頂」。
2019-04-17 光念白射 ウィキペディア(2016年2月~)では「光熱白射」※。「日刊リウイチ」(裏日本工業新聞)の記事(2002年8月15日)では「光念白射」。「5ちゃんねる」の2003年6月の書き込み(#309)でも「光念白射」。原作にないので公式設定未詳。
アニメの初回放送(2002年7月)のとき、このせりふを聞き取れず、音声うpして助けを求めた(「俺ニュース」が情報募集の件、広報してくれた)。いろんな人が聴いてくれて、その日のうちに「光念白射(こうねんはくしゃ)と言ってるみたいです」って情報が寄せられた。ありがとう、あのときのみんな…。
あの頃のウェブは、今思うと変だったけど、面白かった。大きな中心(プラットフォーム)がなくて、全体が熱かった。福島原発の職員が原発ネタのものすごいブラックジョーク書いたり(今では絶対あり得ない=当時でもハッピーエンドにはならなかった)。「岡田あーみん・平野耕太」並みにリスペクトしてた。霧巫女といえば「巫女麺」「シスター麺」なんてのもあったなぁ…。約20年後の今、コンピューターの性能は1億倍になったかもしれないが、ネットの大部分は損得・自己顕示を中心とするぬるいグールになってしまった。時代の変化だから仕方ないけど、あの頃を体験できて幸せだった。今の一部の企業はネット全体での影響力を誇示してるらしい。けど、その本質は「ティッシュ配布・ポスティング業者」。何かを生み出してるわけでもなさそう…。
くだんのアニメは、ぶっちゃけ面白くなかった(笑)。原作派からも、めちゃ不評だったっぽい。それでも仲間内で、遊びのネタにしてた。のんきな時代。旧作鑑賞会やったり。何でも効率優先じゃなく。秒単位でトラッキングされて、チカチカする広告見せられるんじゃなく。役立たないこと・くだらないことをのんびりできるってのが、ホントの豊かさ。「跡を残したい」なんて考えもせず。プチプチつぶしをする人が自分の指先だけに集中して、プチプチつぶして何の得になるかなんて、気にしないみたいに…
※ 中国語圏でも「光热白射」だが、単に日本語ウィキペを訳したっぽい。韓国語圏では一応 광념백사 (光念白射)。英語吹き替えは White light beam, activate! (白光ビーム発射!)=「念」か「熱」かは判断不能。
2019-05-17 イタリアでの「ジーグ」人気 1980年代のイタリアで「鋼鉄ジーグ」は人気が高かった。ローマ近郊にはジーグの壁画まである(画像中の SOLO の文字は壁画の作者名)。
イタリア版のOPは、日本語版と同じメロディーにイタリア語の歌詞を付けたもので、水木一郎本人がイタリア語版の一部を歌ったこともあって、たまげた。今でも合体シーンを見ると涙が出る。…と、イタリアのマニアが熱く語ってくれた。
何でこんな話になったかというと、昔の歌は熱かったらしい(日本ブレイク工業からの連想)ということと、イタリアのアニソンは同じ歌手(クリスティーナ・ダベナ)ばかりで食傷気味かな、ということから…。さすがに初期のロボットアニメは、D'Avena ではなく男性がテーマソングを歌ったらしい。イタリアのマニア視点だと、D'Avena はそんなに悪くはないけれど、あまり好かれてもいない。「自分の歌」ではなく Alessandra Valeri Manera(アニオタから見ると悪の権化)の作詞で「道具として使われているだけ」とのこと。イタリアに限らないが、作品がオリジナルのままではなく、いろいろ編集されているところから、制作側への反感が生じている。
Mediaset 社では、チャンネル5(Canale 5)でアニメを放送するとき、かなりの編集(修正・検閲)を加えた。ノーカット・オリジナルが見たいファンにとって、これはうれしくないことだった。そして Manera は、この編集の責任者とされることがある。個人的価値観から恣意的に改変したのか、修正せざるを得ない事情があったのかは不明。
イタリアで空モモが初放送されたときは Il magico mondo di Gigì というタイトルで、これは Mediaset によるものではなく、別のOP/EDが付いている(フランス版モモに基づくらしい)。Mediaset は後にこの作品の放送権を取得、Benvenuta Gigì として再放送。主題歌はクリスティーナのものに差し替えられた。Mediaset はさらに、Tanto tempo fa… Gigì と題して、海モモを放送した(歌はクリスティーナ)。すなわち「モモ」を「ジジ」に変えた犯人は Mediaset ではない。各国どの局も、多かれ少なかれ、日本のアニメを編集して放送していたらしい。Mediaset のしたことは、必ずしも特別なことではなかった。
クリスティーナ自身が嫌われているわけでもない。上記のような批判をする人でも、パステルユーミ(Sandy dai mille colori)の主題歌は好きだったという。
ブレイク工業の Da Da Da は「ジーグ」の「ダンダダ・ダダン…」に触発されたものだったのだろうか。「おれは涙を流さない ダダッダー」(グレートマジンガー)に近い感じもするが、昔のロボット物はよく分からない。だけど、旧作の中には「大昔のお子様向けなんて…」と侮れないものもある。例えば、ファースト・ガンダム(シリーズ第1作。シリーズ全体という意味ではない)=時々ある深いテーマやリアリズムに驚く(視聴者の子どもを子ども扱いしていない)。ガッチャマン=「死体がゴロリと転がっている」のでびびる(昔の表現の自由さに)。イタリア人が涙を流すジーグも、機会があったら見てみたい。
2019-05-18 「ジーグ」OPイタリア版・逆翻訳 イタリア版(リスト中段: Corri ragazzo...)では、オリジナル(リスト上段)と同じメロディーに独自の歌詞が付けられている。お遊びとして、それを日本語に逆翻訳(リスト下段)。
(注) 太いかっこ【】の部分は、オリジナル日本版では「バンバン」などの掛け声だが、イタリア版では普通に歌詞がある。不等号<>の部分の合いの手は、イタリア版では歌詞がない。イタリア版のOPは2番まであるが、ここでは1番の概要を紹介した。歌しか知らない(作品自体を見てない)ので、内容的にニュアンスがおかしい部分があるかも。
(直訳版)
走れ、少年/青年よ、下方へ/向こうへ。
飛べ、青の稲妻/閃光(複数)の間を。
走れ、人類全員の助けとして。
走れ、そして行け。地上を。
飛べ、そして行け。星々の間を。
ジーグになることができる君よ!
ジーグが行く/ジーグよ行け。心と鋼鉄。
ジーグが行く/ジーグよ行け。心と鋼鉄。
心…少年/青年の ← 彼は/それは
恐れることなく、常に戦うだろう。
もし地面から立ち上がるなら
…我々を攻撃しようとする力が。
我々は皆、君と共にいる(君を応援する)。
なぜなら君は…君がジーグだから!
2019-05-19 イタリア版「ジーグ」OPトリビア 日本版オリジナルと同じ曲 + 別の歌詞だが、伴奏も少し違う。イントロ・間奏の「ダンダダ・ダダン…」のコーラスがなくなった代わり、ミニモーグ(小型シンセサイザー=画像)のリフが挿入され、楽器が1個増えてる。日本版と同じリズミカルな伴奏の上に「ウィーーン、テュロルロ」とシンセの単音が絡む(ミニモーグは同時に2音を出せないらしい)。
2019-05-20 ロベルト・フォグ 「原始少年リュウ」「鋼鉄ジーグ」の2作品で、日本版OPのメロディーが、そのままイタリアでも使われたという。どちらもオリジナルの歌手は水木一郎、イタリア版の歌手は Roberto Fogu(愛称 Fogus)。フォグは、1990年代に若くして亡くなった。
http://www.sigletv.net/special_fogus_index.php
ダベナの時代には、イタリア版専用OP(曲も歌詞も新作)が普通になった。「イタリア独自のOPを作る=もともとの日本版OPが見られない」ことの是非は、個人的な好みの問題だろう。
ポケモン・アニメに描かれた「おにぎり」が、吹き替えでは同じ絵のまま「ドーナツ」や「サンドイッチ」になったり、あるいは食べ物の絵が描き変えられたり…。そういう「文化レベルでの翻訳」みたいなことは、たとえ善意の工夫でも、ファンの間では人気が悪いらしい。とはいえ、OPを日本語のままにしないでイタリア語に置き換えたいのなら、新しい歌詞に合うようにメロディーも新しく作った方がいいような気がする(一般論として)。
そのイタリアのファンは「ジーグに関しては、イタリア版OPの方が好き」という。「それを見て育ったので懐かしいから」そして「イタリア語の歌詞は良くできているし、意味のないバンバン・バンバンを繰り返す日本語版より内容が濃いから」だと。この最後の点については、必ずしも同意しかねるが(笑)。
2019-05-21 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その2) 「ふたすじの青い稲妻の間を飛び抜けて」というのは、鮮烈で格好いいイメージだし、荒々しい闘志を感じさせるが、言葉の意味だけ考えるとやや唐突。なぜここで稲妻の色を描写するのか。青は(詩的表現の範囲とはいえ)稲妻の色として、それほど自然な描写でもない。…この疑問は、言葉の響きを考えると氷解する。1行目の laggiù と語調を合わせて lampi di blu としたのだろう。
日本版は「敵民族を全滅だ!」とジェノサイド宣言。イタリア版は「人類全員を守れ!」と逆方向から表現。いくら「敵」でも全滅させていいかというと…敵側にだって民間人もいるかもしれないし、略奪婚で拉致された人もいるかもしれないし…。ファースト・ガンダムで連邦側民間人に親切なジオン兵とか、セラムンの「なるちゃん」とネフライトの関係とか…ああいうパターンに心動かされる。イデオンとか、もののけとか…どっちが正義・どっちが悪と割り切れないのが、リアリズムじゃね? 悪いやつらだから全滅させちまえ、ってのは、やっぱ平板で嫌だな。「全滅だ!」は言葉のあやで、そこまで端的に言い切る力強さも魅力的だが、深みの点ではイタリア版に一本取られたかも…。
「すまない…チョコレートパフェ…食べられそうもない」
2019-05-22 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その3) 日本版の歌は、歌手(水木)の声、男声バックコーラス、児童合唱の3要素から成る。「バンバン」などの掛け声について、水木自身も歌う部分はイタリア版でも歌詞があり、それ以外(バックコーラスのみ)はイタリア版では歌詞がない。一貫してそうなってるようだ。
邪魔大王国は、作中では「じゃまたいおうこく」だが、水木の歌では「じゃまだいおうこく」、歌詞テロップは「じゃまたいおうごく」と3通りに不統一。悪の本拠地が「邪魔だい」なら「ドツクゾーン」並みに「まんま」。異次元技術を持つ古代超文明を滅ぼしていいのだろうか…。こいつらが日本を支配すれば、むしろ諸問題が解決するのでは(笑)。現実的にも、古代文明の方が先住民族で、こっちが侵略者…
OPのルビ「おうごく」。イタリア版DVD字幕 Regno Jamatai。
2019-05-29 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その4) 既述のように日本と同じメロディーだが(歌詞はイタリア語)、歌のテンポが約4%速い。日本のアニメは基本 24 fps(正確には 24000/1001 fps、テレビ放送等では約 30 fps に変換されている)。イタリアの規格では 25 fps なので、1秒間につき1フレーム多く、その割合で全てが「早送り」される。コンテンツの長さが (24000/1001) / 25 = 約 95.9% の時間に圧縮。
実測によると「おれ」の「お」が出る瞬間から「全滅だ」の「だ」が出る瞬間まで、日本版は約9.9秒。対して、「Corri」の「Cor」が出る瞬間から「dell'umanità」の「tà」が出る瞬間まで、イタリア版は約9.3~9.4秒。94~95%に圧縮されてる。多分昔のアナログ録音なので、アナログ的誤差(テープの伸び縮み?)もあるし、歌手の違いによる節回しの差も考慮すると、実測値94~95%は理論値95.9%と、よく一致しているといえるかと。
イタリア版DVDの別トラックに収録されている日本語音声も、ほぼ同じ割合でテンポが少し速いようだ。ビデオが 25 fps なので、そうするしかないのだろう。同一フレームの反復が多い旧作アニメでは、24フレームにつき1フレームを水増しすることは難しくないはずだが、映像側を水増しするのではなく、音声側をスピード・アップして同期を保ってる。とはいえ、日本版は10秒に240フレームなのに、こっちは10秒につき250フレーム必要なので、時間稼ぎの「水増し」フレーム(意味のない静止画など)が挿入されてるパターンもあるっぽい。
2019-05-30 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その5) というわけで、イタリア版を聴いてから続けてOSTを聴くと、調律がずれるというか、四半音~半音くらい下に移調した感じ(イタリア側のピッチが高過ぎ)。違いは伴奏・テンポ(ピッチ)・歌詞だけでなく、アニメOPとしてみると、イタリア版には「バイクの走行音・ジャンプや攻撃や爆発や合体の効果音」が入ってない。音声データ(歌と効果音)が1チャンネルだけで、映像+効果音+イタリア版の歌というリミックスが不可能だったのだろう。イタリアのマニアには悪いけど、合体の瞬間に「ガシャーン!」と音がしないのは、気の抜けたソーダ。ミニローグの電子音追加で、少しでも何とかしたかったのだろうが、とてもオリジナルには及ばない。
歌詞に関しては「おれが…」→「コッリ・ラ…」、「全滅だ!」→「デルマニタ!」と音の感じやアクセントの位置まで合わせてある。芸が細かい。
それでふと気付いたけど、ハイジの「教えて~おじい~さん」と瓶詰妖精の「教えてせんせ~いさん」は相互に交換可能だね(無関係)。
肝心の物語、とりあえず最初の数話を見た。初めの方は普通っぽいが、だんだん面白くなるのかな? 50話くらいある昔のアニメなんで、気長に…。不気味な地下の洞窟みたいなところに悪の女王(大ボス)がいて、幹部数名を従えて、毎回「今週の怪物」を送り込む、おなじみのパターン。しかも女王の前には、世間をモニターできる水晶玉みたいなもんが…。今にも部下が「ヒミカ様!」でなく「クイン・ベリル様!」って言いそう(笑)。
2019-05-31 イタリア版「ジーグ」OPトリビア(その6) 「その6」といっても、チラ裏はログを残してないので話がつながらないが、ここまでのあらすじ → 「イタリアのマニアの影響でジーグを見始めた」「イタリア版は25 fpsなので、24 fpsのオリジナルより動画の再生速度が速い」 ← 聴き比べると音のピッチも高い。もちろんオリジナルの日本語音声で見てるが、このバージョン、日本語音声もピッチが高いっぽい。
フォグ版の歌詞は、ちょっと格好いい。「心と鋼鉄」という簡潔なフレーズに「サイボーグの自意識・実存」という深遠なテーマが暗示されてる? 水木のオリジナルは有名だけど、水木自身がフォグ版(イタリア語の歌詞)の最初の部分を歌った録音もある!(超レア?)
イタリア人は「バンバンバンバン」とかの掛け声をあまり評価してないが、OP全体としてみると、映像側の爆発音・合体の効果音などを引き立たせるために「歌詞の一部を打楽器的伴奏として、わざと後景にしている」。これは単純に見えて巧妙。
2019-06-02 銅鐸(どうたく)は「さなぎ」じゃないぞ!? リアルの考古学では「銅鐸」って何のためのアイテムだったのか、結論が出てないらしい。イタリア版では「ブロンズの鐘」。イタリアのちびっ子たちは「そんな鐘、どこの教会にもあるじゃん。金や銀ならともかく、何でそんなありふれた物を奪い合って争ってるんだろ?」と疑問に思いつつ、それでもジーグ格好いいと思って、夢中になって見てたという。
一部の翻訳(イタリア版ではない)では、銅鐸がなぜか「さなぎ」と訳されてる。めちゃくちゃな誤訳だが、好意的に解釈すれば「(主人公の体の中で or 土の中で)眠っているアイテム」を詩的に「さなぎ」としたのかもしれない…。そういえばイニDの北米版では「板金」が変な翻訳になってたが「銅鐸」は「板金」よりさらに分かりにくそう。翻訳者泣かせ…
OP冒頭から、ノーヘルでバイク飛ばせる70年代はいいね…。90年代の少女漫画系OPでは「自転車二人乗り(後ろが立ち乗り)」ってだけで「子どもがまねしたら困る!」と修正を迫られた例があった。プラスに考えれば、20年間で、それだけアニメの地位(影響力)が高まったということかも?
← バイク・ノーヘル二人乗り(1970年代)=無問題
← 自転車二人乗り(1990年代・アニメ)=撤回・差し替え処置。場所のモデルは多摩川の関戸橋・当時の上流側、歩道部分?
← 自転車二人乗り(1990年代・漫画)=同じ乗り方。無問題。読み返すと、漫画版は意外とバイクもノーヘル。
← アニメ版(2006年)
← 「二人乗りが駄目なら、三人で乗ればいいんです。はい!」
← いや、むしろ四人で…
← 五人はさすがにどうかと
2019-06-09 バイク運転手のヘルメット着用 ジーグ18話まで来たら、ヘルメットの描写が…。
実はこれ、雨のシーン。雨の中で水に濡れる髪を描くのが面倒なので、便宜上ヘルメットを着用させた?
← 雨でなければ女の子もノーヘル
「自分はただの機械なのか?」みたいなことで苦悩する主人公・宙(ひろし)には、ほんのり、最初の攻殻のようなフレーバーがある(宙パパもマシン内の仮想存在)。綾波は「自分がエヴァに乗るのは、絆だから」みたいなことを言っていたが、こっちの主人公も「自分がジーグになって闘うのは、それが唯一の絆だから」っぽいことを言う。
画期的といわれるファースト・ガンダムも、突然生まれたわけではなく「準備されていたんだな」と。ガンダムは「人間と人間の戦争を描いた」わけだが、ジーグもある意味そう。悪のボスのヒミカは「自分たちは普通に平和に暮らしていたのに、突然、侵略されて滅ぼされた被害者だ」という事実関係を明言する。敵=とにかく悪い、という幼稚な構図ではなく、敵側の怪物なのに人間側に同情するキャラも登場。ジオンほどではないにせよ、敵側にも少し奥行きがある。
アムロは戦闘を放棄して脱走するが、こっちの主人公もモチベーションを失い出撃しない場面があった。ヒーローが鬱になるのは、ガンダムの発明じゃないらしい。
ところで筆者は、ロボット系アニメが苦手。昔、最初にきちんと見たガンダムはゼータだが、そのときは興味が続かず16話くらいでリタイア。とりあえずジーグは18話まで来れたが、イタリア人がどうしてそこまで夢中になるのか、まだ理解できてない。これからもっと面白くなるのだろうか(そうだといいな)。
2019-07-03 これは何のアニメでしょう?
「これ何のアニメか分かる?」オランダ人から唐突に尋ねられた。小さなパラボラアンテナのようなものが付いた電子機器だが、漫画チック。第一印象は「ポケモン?」何だか分からなかった。
2枚目。「これは?」依然「ポケモンかも…」1980年代末か90年代と予想。見覚えがあるような気もしたが、分からなかった。
3枚目。「ポケモンじゃないな。3枚とも同じ作品なの?」「うん」「2枚目と3枚目だけなら葦プロ魔法少女っぽい雰囲気だけど、1枚目のメカは男の子向けの作品っぽいし、何なんだろうね。自分では答えを知ってるの? あ、もしかして1枚目は、ジートが持ってた妖精探知機じゃない?」「分かってみると簡単でしょ(笑)」純粋な疑問じゃなく、遊びのクイズだったのか!
画像は、あと2枚用意されてた。4枚目は街側から見上げた「海の見える丘」、5枚目はフラワーハウスの屋根。難しいヒントから、だんだん易しいヒントへ。「画像から作品名を推理し合うスレ」みたいなのがあって、今朝にかけて、徹夜でこの問題を作成したらしい。オランダのオタもやるなあ。本多知恵子さん、安らかなれ。
2019-07-09 「DEATH NOTE」妄想
(1) 漫画の「DEATH NOTE」では「相手の名前をノートに書くとその人が死ぬ」という魔法のノートが登場する。殺したい相手が、例えば韓国人・モンゴル人・アルメニア人・ジョージア(グルジア)人の場合、ノート使用者は「その人の名前を書く」ことができるだろうか。ノートを使う人間にとって、世界の文字の多様性はかなりのハードルとなり得る。
(2) 「不可能な内容でなければ、死の前の行動を操れる」というのだから、駄目もとで「常温核融合の理論を発表後、死亡」「難病の画期的治療法を発表後、死亡」などと指定したらどうだろう。3人の暗号学者の名前と日時を記入して、死因はそれぞれ「RSA問題を多項式時間で解くアゴリズムを発見、arxivで公開後、うれしさのあまりショック死」「RSA問題を多項式時間で解くことの不可能性を証明、arxivで公開後、うれしさのあまりショック死」「RSA問題がPかどうかは決定できないことを証明、arxivで公開後、うれしさのあまりショック死」とすると、全部不可能ってことはないだろうから、どれかが実現する。
(3) 「DEATH NOTEに狂いなし」。誰かの死亡時刻が記入された後、協定世界時の管理者が結託して「突然ですが、臨時で負のうるう秒を60個挿入します」などと宣言し、その時刻が存在しなくなったら、どうなるのだろう? システムエラーが発生、対象者が永遠に死ななくなったり、ノートが壊れたり、それを書き込んだ本人が死んだりするかもしれない。
2020-06-23 Death NoteとEPRパラドックス(?) Spooky action at a distance
将来、有人火星探査、ひいてや火星植民が始まるかもしれない。言うまでもなく、有人の宇宙探査は危険が多い。事故死は考えられないことではない。さて、思考実験として、火星にいる宇宙飛行士(仮に「火星花子」とする)に対して恨みを持っている人が、地球上のデスノートに「火星花子、1月2日、3時45分UTC、火星で事故死」と記入すると、その通りになるはずである。問題は、この書き込みを死亡時刻直前、例えば3時44分にできるとしたら…
地球から火星まで、光の速さでも数分から数十分かかる。3時44分の地球上の行動が、3時45分の火星上の事故を引き起こすとしたら、情報が(あるいは因果関係が)光速より速く伝わることになる!
確か漫画の設定によると、不可能なこと(物理法則に反すること)は引き起こせないのだった。上記の実験を行い、もし仮に火星花子が本当に3時45分に死んだ場合、この現象は「物理法則に反していない」ということになり、すなわち相対性理論には「抜け道」があることになる…。何だか分からないが、大変なことである。ワープ航法への第一歩かもしれない。それだけではない。死ぬ前の行動を操れ、不可能でないことなら発生させられる…ということは、ある分野において世界的に有名な専門家の名前を書いて「これこれ(未解決の懸案)を解決する論文を公開後、死亡」と指定すると、どんなことであれ、実質的に可能である限りにおいて「これこれ」が解決する。エネルギー問題、地球温暖化、経済問題…なんであれ、解決法があるのなら解決する!
Death Noteは手動で一人ずつしか殺せないので、殺傷能力という点ではそれほど「効率的」な武器ではないようにも思えるが、死に方=死ぬ前の行動の指定というオプション部分を活用すると、ドラえもんの4次元ポケット並みに役立ちそうだ。物理法則は変えられないようなので「もしもボックス」には、かなわない???
2019-07-16 アニソン「しゃーぷっ」「ぴたテン」「フルメタル」「姫ちゃん」
「あしたねって、みんなと」(耳をすまして)の歌詞・雰囲気は、ぴたテンEDの「あしたまた会えるよね」を連想させる。ぴたテンEDは、湖太郎くん(少年キャラ)が女の子の声で「それは秘密、誰にも秘密、小さな魔法」と歌う不思議な世界だった(妄想…)。ぴたテンは、漫画版・アニメ版、別バージョンの世界を楽しめるのもいい。一番好きな作品ってほどじゃなけど、キャラとしては紫亜ちゃん萌え(声=ゆかな)。で、ゆかなって、自分の中では、フルメタルパニック(以下FMP)のテッサでもあるんだよね。
FMPは自分からは見ないタイプの仮想戦記?だけど(基本的にロボット系は趣味じゃない)、当時、サークルつながりで原作まで読んだ。冗談で「ファンダブ(吹き替え)やろうよ、あんたテッサね!」みたいなノリで。今思うと、ゆかな好きなので、うれしいかな? んで、それから何年もたってから、突然、電撃的にひらめいたのよ。FMPのOPの「二人で逃げ場所探して 走った天気雨の中」って、姫ちゃんのリボンED2の「突然夕立に追われて 逃げ込んだ鉄橋の下」に似てるって(内容のシチュが)。それだけなら「ただの偶然」だけど、FMPのEDは「君に会えて、うれしかった…今は別々の空、見上げて」みたいな感じ、姫ちゃんのOPは「元気な君が好き…今は遠くで見てるよ」OP/ED両方の内容が、すげー似てる気が! それにFMPって仙川(京王線)っぽいけど、姫ちゃんは国立で、川は多摩川で、だから「逃げ込んだ鉄橋の下」に意味があるとすれば、京王線の多摩川橋梁じゃない? ストーリーも世界観も全然無関係なのに、何かつながってるよ!
ちなみに「エスパー魔美」の舞台も、同じ地域(京王線・聖蹟桜ヶ丘あたり)だとか。
2019-08-11 ミラーリングの問題点: 漫画と日本人名 縦書きの日本語は、アラビア語のように、右から左に進む。漫画のせりふも基本、縦書き。だから漫画も右から左に進む。
漫画(吹き出しの中のせりふなど)をそのまま「左から右」の言語に翻訳すると、テキストが双方向的になる。
コマ3 コマ2 コマ1 なるほど! こういうことだよ 双方向的って?
慣れてないと読みにくい。で、10~20年くらい前まで、漫画の商用の翻訳は、ミラーリングされることが多かった。全ページが鏡像(左右反転)で印刷されて逆順にとじられ、左から右へ読めるようになってた。日本の単行本で言えば「裏表紙が表紙になって、そっち側から読み始める」という形。
コマ1 コマ2 コマ3 左から右? こういうことだよ これなら素人でも読める!
これは一見、読みやすいのだが、オリジナルの漫画には「右から左に進むコマ割りによるストーリー展開のリズム」があって(漫画を読む人なら、説明抜きに分かるよね)、鏡像にするとオリジナルのリズムを味わえない。画面内の文字(例えばTシャツのロゴ)も鏡像になってしまう。美しくない。スポーツ系の作品で「左手をけがした」「右投げの投手」なんて場面は困るよね。画像が左右逆だと。
で、熱心なファンの間では「右から左に描かれた漫画は、やっぱ右から左に読むべきでしょ」という当たり前の考えがある。そりゃそうでしょう。美術の本で、ゴーギャンやピカソの作品を左右逆で印刷したら大問題(もっとも日本の漫画家の中には、問題を承知の上で、鏡像を許可していた人もいたが…)。ファンの作る翻訳(スキャンレーション)では昔から「右から左のまま」がデフォだったし、やがて商用も「右から左」が主流に。ミラーリングは、すたれていった。おまえら、漫画が好きならコマを読む順序くらい覚えろ、と。まさに正論(笑)
同様に「河合稲子」というキャラがいたとして、それは「かわいいネコ」という言葉遊びなんだから、Ineko Kawai ではニュアンスが失われてしまう。Kawai Ineko のままがいい(kawaii と neko くらいの日本語は、オタなら普通に知ってる)。Kōrogi Satomi は Kōrogi Satomi であって、Satomi Kōrogi では、ちょっと…。本来の名前は Kōrogi Satomi で本人もそう名乗り、日本ではみんなにそう呼ばれているんだから、ひっくり返すのは本物ではないというか、リスペクトが足りないというか…。んなわけで、人名をミラーリングしないことをデフォにするのは、いいことかなと。
もちろん、リアルで使われる人名はケースバイケース、本人の考え次第。米国在住のハンガリー系の人も、名字を後ろにしてひっくり返した形を氏名としているケースが珍しくないみたい。「ひっくり返しておけば理解されやすい」というわけじゃなく、ひっくり返してもひっくり返さなくても「どっちが名字で、どっちが個人名なのか」を尋ねられたり、説明しなければならなくなったりする場面は等しく生じる。リアルでは。とにかく多様性の時代なんで。不特定の相手に対しては「メリークリスマス」さえ言わない方向(無神論者やユダヤ教徒とかもいるので)。多様性=「統一すること自体が良くない」。ひっくり返したい人はひっくり返せばいいし、それが嫌な人は、ひっくり返さなければいい。互いに自分の考えを押し付けない。
上記の歴史の結果、古くからの漫画ファンは、印刷パターンに合わせて左から右(鏡像)、右から左(純正)、どちら向きでも漫画をスラスラ読める人が多い。ルンルル、ちょっと器用ね、両利きみたいで。
2019-08-28 君は、自転車の涙を見る… 2000~2010年ごろの時期、鳥取大学・学生センターのウェブページの「キャンパスライフ」コーナーには、忘れ物・落とし物の取り扱いについて、ネタっぽいことが書いてあった。要約すると「忘れもの・落としもので、多いものは次のとおりです。注意しましょう。1位・腕時計、2位・財布、3位・自転車の鍵(自転車なしで、君は生きのびることができるか)」
ある古いブログ記事でこれを知り「面白い」と思う半面、このネタならなぜ「君は、自転車の涙を見る…」でないのだろう、と疑問に感じた。「自転車なしで~」は、冗長というか、リズムが悪い。
疑問は追究しなければなるまい。「キャンパスライフ」の古いページを確認してみたら、実はこうだった。
「1位・腕時計(講義室によく置き去りにされています)、2位・財布(トイレの中とかでよく泣いてます)、3位・自転車の鍵(自転車なしで、君は生きのびることができるか)」…「財布が既に泣いてるので、自転車の涙だとくどい」という文脈が判明。一応納得。もし仮に全部このネタでいくなら、こんな感じだろうか?
1位・腕時計(君は、刻の涙を見る…)
2位・財布(君は、生きのびることができるか)
3位・自転車の鍵(鍵なんて飾りなんです)
もちろん原文はネタだけではなく、どの場所で紛失しやすいか注意喚起してるわけで、全部ネタにすると、お知らせの意味が減ってしまう。でも最後に1発ネタを入れるなら、それ単体では、やっぱり「君は、自転車の涙を見る…」に軍配が上がる。
原文を書いた担当者も、それは分かっていたのかもしれない。だとしたら、そこから導かれる結論は一つ(笑)。書いた人はファーストは好きだがゼータは嫌い、という明確なポリシーの持ち主だった。「作品的理由ではなく商品的理由から続編を作りまくる風潮」に嫌悪感を抱いていたのかもしれない。「ゼータなんて無視してイデオンを見なさい」と。
いずれにせよ、時代は変わった。今なら忘れ物のトップは多分、電話関係か傘・日傘。アニメの大部分はもう純粋な子ども向けではなく、さいしょっから、お金のある大きなお友達がターゲット。そして何より、今は学校のページにあまりネタっぽいことを書きにくいのかもしれない。
2019-09-08 光の国から ぼくらのために 来たぞ 我等のウルトラマン この有名な歌詞について、代名詞が不統一じゃん、という指摘がある。
不統一なのは事実だが「間違い」とは言い切れない。むしろ…
「わが国の憲法は、ぼくたちの生活の基礎となる重要なものです」←内容はさておき、この例文は子どもが書いたものとして、それほど不自然ではない。同様に「われらの」ウルトラマンという表現は、公的・共有資産的ニュアンスを持ち、「ぼくらのために」という表現は「その大きな存在が、身近な生活空間で起きている事件を解決するために」来てくれたというニュアンスを持つ。
そう解釈すると「ぼくらのために来てくれた」→「われら人類の味方ウルトラマン」は、効果的なズームアウトのレトリックを持つ。身近な子どもたちを写していたカメラが、どんどん上昇方向に引いていって街が映り、日本列島が映り、地球が映り、広大な宇宙空間が映るような…(ビバップの真ん中辺のラストのあれ的エフェクト)。
↑ギャラ゙クティカのシーズン末にあった同様のシーン。「会話する二人」からものすごい勢いでカメラ(視点)が引いて、最後は銀河系を外から見る。ここから今度はズームインして地球が映る。
…むしろ「ぼくら」「われら」をどちらかに統一したら、平板・冗漫になって、歌詞のパワーが半減するのは明らかだろう。
2019-09-14 視聴率50%超?! 女性ファンも多かった イタリアの友人いわく、放送当時、ほとんどの子どもはジーグを見ていた。女の子もジーグが好きだった。
2015年のイタリア映画『皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」』(※)のヒロインもジーグファン。…イタリアの観客はみんな「ジーグ」って何だか知っていて、ジーグに憧れる女性という設定を普通に受け入れるらしい。仮に2015年の日本国内でそういう作品が制作・公開されたら「唐突で不自然・意味不明」と思われるだろう。本国の日本で以上に愛されてるんだな、ジーグって。イタリアで。ただしこの映画については「くだらない内容。お勧めできない」とのこと。
放送当時、子どもたちは学校で「ジーグごっこ」をやって遊んだ。ジーグ対ハニワ幻人という設定で、手をドリル型に組み合わせて「マッハドリル!」とか(笑)。そこまでイタリアの日常に溶け込んでたジーグ。「ハニワ」が聞き取りにくく、敵役は「アニバ」だと思われていた。そしてイタリア語のアニメ・ニュースグループでは、今でも参加者は互いに aniba と呼び合うらしい。冗談と愛情を込めて。
そのイタリア人も「ガンダムはレベルが違う」と認めている。認めた上で「けれどガンダムの初代TVシリーズは、良い作品だが完成度が低かった。結末の印象も薄い。だから人気が出なかった」と。
※ 原題「Lo chiamavano Jeeg Robot」=<和訳>彼を(人々は)ジーグロボットと呼んでいた。1970年のイタリア映画「Lo chiamavano Trinità...」=彼を(人々は)トリニタ…と呼んでいた、のパロディータイトルらしい。
↑ジーグ23話の港 vs. リアル名古屋港。フェリーに仕掛けられた爆弾を児童&犬が見つける。ガンダムの「小さな防衛線」みたいな話。
2019-09-13 ガンダム上回る人気・知名度 イタリアのジーグ イタリアでジーグの人気が高いことは有名だけど(前にも書いた)、何と!ガンダムと比べても「圧倒的に人気が高い」とのこと。ファースト・ガンダムはイタリアでも有名でそれなりにファンも多いが、ジーグの比ではないらしい。
ファースト・ガンダムが名作なのは明らかなのに、なぜイタリア人はジーグが上と見るのか。この視点・文化的背景は、自分の中で今後の研究課題。
正直、ロボット系って、よく分からん…少女漫画どっぷりのバックグラウンドなんで…。はいて捨てるほどガノタがいて、尊敬してたKOI2さんもガンダムの大ファンなので、絶対そこには「何か深い魅力」があるはず。それが自分には、まだ理解できない(※)。とりあえず今週末はジーグ21~25話あたりを一緒に見て、感想を話し合う予定。
(※) 他方、KOI2さんもタネあたりから見なくなってるという事実があり、何より富野自身がシリーズ物乱発を嫌がってたことは有名(ゼータの段階で既に葛藤があった模様)。原作者も筋金入りのガンダムファンも嫌がってるのに、それでも喜ぶガノタ…。それを理解できないのは、むしろ正常?
2019-09-12 思い立ったが吉日 「答えてあげるが世の情け」について「文法的にはちょっと変だけど、語調のため、あえてそういう言い回しにしたのだろう」と思ってた(実は「答えてやるが」で七五調と思い込んでいた)。だけど、そういやあ「思い立ったが吉日」という表現がある。それがOKってことは「答えてあげるが世の情け」も文法的にOKなんじゃね? 連体形+名詞(答えてあげること・思い立った日)の名詞部分が省略され、省略後も全体としては名詞節として働き「~が + 述語」の形になれる…と解釈すれば理屈は合う!
用例主義からすれば、その言い方が広まった以上、その言い方は「あり」。そのうち「ラブリーチャーミー」が辞書に載る日だって来るかもしれない。
「愛と真実の悪を貫く」を普通に解釈すれば「貫き通す(あくまで悪を続ける)」で、それが本来の意図なんだろうけど、「愛と真実(というもっともらしい言葉)の(中に潜む)悪(インチキ・弊害)を貫く(鋭く見抜いて批判する)」と解釈すると、深遠だと思わない?
擦り込み効果は絶大。子ども時代に最初に見たバージョンの声優の声が「そのキャラの声」になってしまい、オリジナルの声優の声がむしろ「偽物」に感じられちゃう。声優が変わった場合の「ドラえもん効果」みたいに。
2019-09-17 わたくしといふ現象は 因果交流電燈の ひとつの青い照明です ひかりはたもち その電燈は失はれ(宮沢賢治 『春と修羅』より)
詩人はもう いないけど
その歌は 輝き続ける
この世に妖精なんて いないけど
あなたの中には いつもいる
↑一見、意味深長だが、実はイタリアのアニソンがベース…。「幻よりも軽やかな」というような意味の文があって「幻ですらないんだから、思い切って『この世にはいない』と訳しちゃえ」。「詩人」=本多知恵子、「妖精」=彼女が演じたキャラ(世界)の象徴。「いつかはあなたの 住む街へ」「どこかであなたと すれちがう」ってのもいい感じだったけど…。本多知恵子の歌だと「私の名前 呼んでみて」「あなたのハート 包みます」。「いつかは」「どこかで」じゃなくて「いつでも」「どこでも」…。意地悪役のビビアンがピンチになって思わず呼んだときも、当たり前のように来てくれる。本多知恵子さんが亡くなった今も、この魔法は永遠に有効なんだよ。魔法だから。
※ 画像は「アンの小箱」の素材。
2019-09-25 KOI2名言集その1 10年以上前に10年くらい続いてた「みんなきてKOIKOI」。そこから、さりげなく変な文章を。もっと超絶的に変なのも多かったが(笑)。
その日の朝ですが突然私は知人に電話をしたのであった。
(日記54)
KOI2「あのさ!この前一緒に飲んだ君の友人の○さんっているじゃん。」
知人「おう!で、それがなにか?」
KOI2「確かコスプレしてたよね??」
知人「ういっす!」
KOI2「私に着れるコスプレな服は無いかねと聞いてもらえないかね?」
知人「はぁ?なんでまた?」
KOI2「今は内緒だ!ちゃんとクリーニングするから聞いてください。」
知人「いいけど?」
数分後
KOI2「はーいKOI2でーす!帰れ!」
知人「お前酔ってんだろ?」
KOI2「なぜわかった!」
知人「言動だよ!」
KOI2「うっはーー!で、どうだった?」
知人「まああるにはあるとの事だが、ウエストのサイズとか合わないかもしれないって。」
KOI2「確かに中年太りが入りはじめたし。」
知人「で、何のイベントに出るのかって聞かれたんだが何?」
KOI2「花見。」
知人「へ?」
KOI2「花見だす花見。」
知人「なんで花見にコスプレ衣装が必要なんだ?」
KOI2「着たいから。」
知人「・・・お前春の妖精が頭に住み着いてんだろ?まじで?」
KOI2「やかましい!」
知人「ちなみに本気か?」
KOI2「本気だ?無論本気。君と友人君も参加だからよろしくな。」
知人「まてよおい!」
KOI2「いいじゃん。こんな事滅多に出来んぞ。」
知人「絶対にやだ!」
なんだかんだで説得する私・・・。
KOI2「でさ、その服って何?」
知人「ガンパレとKOFのケンスウとギルティーギアのソルとスト3のヤンとクワトロとおジャ魔女どれみと・・・」
KOI2「おい待て。なんだそのおジャ魔女どれみって?確か男だったよな?友人?」
知人「彼女のじゃないのか?」
KOI2「俺らがそれ着てたら花見に行ったらパニックになるぞ。まさにおじゃ魔女カーニバルだよ!犯罪だよ!」
知人「いやまったく。」
KOI2「じゃあ私の家に来てください。」
↑ この後、ホントにコスプレ花見して大はしゃぎ。どれみが親子連れに受けまくる。アイデア自体はKOI2さんのオリジナルではなく、以前に「いろんなさくら」のコスプレで花見する集団(なるほど!)を目撃した記述あり。その「さくら」集団も、実は「爆裂カップメン」の読者だったというオチ。単純計算で、全日本人の10人に一人は読んでいるサイトだった(1000万ヒット)。
しかしファミコンを指さして「これなに?」と言われたのにはカルチャーショック!年齢的に知ってる訳あるはずナッシング。どうやら初めて遊んだゲーム機はPS2との事。なんて贅沢な時代になったのだ。試しに初代スパーマリオブラザーズをやらせてみる。
(日記47)
「絵がきたないからつまらない。」
とのお返事。どうやらゲーム内容より絵みたいである。時代か?しかしファミコンのスペックが携帯電話以下と言っても信じないだろうな・・・。とてつもないカルチャーショックであった。
そしてその後40時間ぶっつけでゲームをする。久ぶりに脳に電波が届くのではと思うほどギャルゲーをしてしまった私。これはこれでOK!だってすきなんだもーん。
(日記41)
誤字脱字が多いのはKOI2さんのスタイル。思うに、ものすごい勢いでタイプして、細かいことにこだわらない主義。上記の引用だけだと「ゲーム廃人」と誤解されかねないが、ゲーム関係の仕事してた人なので(確か「悪代官」を作ったとか)、基本、ピアニストが音楽の話をするようなものかと。カップメンの本も出してるので、ある意味、リアルに活躍してた。別の意味で壊れてるが…(笑)。もう、迷惑電話に対する余裕の応答とか、天才と紙一重というか、ばかと紙一重の天才というか、とにかくネットは広大だった。デフォでトラッキングされたりしない荒野だった。
前にも書いたけど、KOI2さんは「キーボードクラッシャー」の陰のプロデューサーでもある。おびただしい派生作品を生み、世界中で有名になった「本家・完全翻訳版」は、KOI2さんからの電波指令により誕生。当時はあまり「中心」がなく、日本でのユーチューブの一般認識は「どこか外国の知らないサイト」だったらしい。投稿した人(当時のこのサイトの読者の誰か)は、わざわざ英文で動画の説明を書いてたし、主演のドイツ人自身も翻訳した自分たちも、動画サイトにアップしたわけではなかった。ちなみに同じ頃、フランスファイブや愛国戦隊大日本も紹介したのだが、これらはそれほどブレイクしなかったっぽい。
あれはネットの比較的初期における「むひょひょ」。個人サイト間(ユーザーの大半は多かれ少なかれオタク)で普通に遊べた時代。中央サーバー・大企業に縛られない、半分実験的のような…。仮に今KOI2さんや、あのドイツ少年や、ブレイク工業の人がデビューしても、受けないかもね。当時、ファイル共有ソフトを作ったら、ソフトウェアの開発者が逮捕されたこともあった。今、大会社がもっと大規模に動画投稿サイトを運営して、事実上ほぼ何でも共有される状態にして無問題なのは、なんか訳分からんよね。法人税をいっぱい払ってくれるところがやれば法律適用はてきとーで、脱中心的にやると、法律を無理やり拡大解釈してまでつぶしにくる、みたいな…。
本気の字幕は年単位のチームワーク。1日で作った「クラッシャー」のやつは単なる遊びで「そういやあ、あったなぁ」くらいの感じだが、懐かしいといやぁ懐かしい。あの動画のせいで、ドイツ少年がリアルでいじめに遭ったことは、良い思い出ではないが…。
もちろん最近でも「いいもの」はあるんだけど、子どもの絶対数が減ってるせいか、物理的・原理的に、無邪気に熱いものがバリバリ出にくいんだと思う。「意味なんてない純粋な遊び」じゃなく「あわよくば金もうけ」「受け狙い・カメラ目線の演技」みたいな。自己評価も、中心が管理する数字(広告効果の大小)が尺度。「自分がやりたいからやる!」って言い切れてない。それって要するに、全員コマーシャルを見せられてるだけじゃん。
2019-09-27 KOI2名言集その2
変な羽の生えたリュックを背負ってる電波オッサンと通行人に思われたであろう。面白いので帰り道でタイヤキを買った。家に帰ってきてから恥かしさがこみ上げてきてノタウチ回った夏の日。
(日記95)
ハンター×ハンター以上の手抜き漫画が読めるのはみんなきてKOIKOIだけ みんなも苦情の手紙を出そう!
(日記73)
ジャンプなんぞもう読んでもいないしな。人気があろうが知らんもんは全くしらん。
(日記113)
世の中には無限と有限が存在すると思う。人の命は確実に後者ではないのでしょうか。有限だとわかっていても、いつその有限が終わるかなんて本人も、付き合っている友人もわからないものです。知人の有限が終わった時に、また有限が終わっていない友人はその分面白おかしく生きなくてはと思います。馬鹿話して酒のんで騒いで。
(日記32)
結論としてなぜメイドがいたのか全くの不明です。しかし人類には小さな目撃でもメイド麺達成には大きな一歩であった。
(日記29)
まさか無償で英語版を作っている人がいるとは!さすがアメリカ!もうガンガン作って下さい。こんなHPでよろしければ何でも使って頂いてOKです。しかしお願いがごじます。KOI2は私の名前ですのでそこは変えた方が良いかと・・・。
(日記23)
当HPに著作権はありません。
勝手に気に入った物使ってOK!
掲示板は勘弁ですが。
狂人に見られても当方は責任もちません。
(日記9)
2019-10-06 「あしたのジョー」アニメ版ってホントに1970年代なの? ???
↓とりあえず、これだけ見た場合、2005年ごろのリメイクと言われても、普通に納得できる。しかし、これが1970~71年に放送された初代テレビ版の66話らしい。CGがない時代に、どうやってこんな絵をレンダリングしたのだろう。リアルで写真を撮って、トゥーンシェーダーみたいなことを手動でやったのだろうか。単純な絵がメインだった50年前に「アニメでこういう画像を使える」と発想できたこと自体が、すごい。出﨑監督の押し入れにはドラえもんがいて、未来の道具を出してもろたんちゃうか。
前景と後景でピントを切り替えて3次元っぽく見せるのは、今でこそ定型句だが、そういう手法がある=最初に使った誰かがいる。そういう初期の一例なのかもしれない。
川に小石がぽちゃんと落ちる描写(41話)、電灯が揺れる場面の光の描写(45話)なんかも、ドキッ! 今ならCGでもっと精密にできることだが、さりげなく手描きでやってる。全体としては古くさい作品なのに、ときどき「10年単位の未来の技術を使ったような、不思議な映像」が混ざってる。
荒れてる部分も多く、たまに時間稼ぎの総集編的な回も…。もともと無理・矛盾のあるストーリーなので、内容の評価は微妙。無印は計70話くらいしかないのに、力石が死ぬだけで50話以上かかる。アニメが原作に追いついてしまったパターンらしい。有名なラストシーンがあるのは1980年ごろの「あしたのジョー2」。無印と「2」の間が10年くらいあいてるのも謎。
2019-10-09 KOI2名言集その3
散歩をしている時、電柱に貼ってある紙が目に入る。「あなたは何の為に生きているのですか理解していますか。よろしかったら私と一緒にそれを探しましょう。」らしい。愚問である。人間はメシ食って寝て遊ぶ為に生きているのである。これ以外の事などメシ食って寝て遊ぶ為の補助である。
(日記13)
↓こんな感じかも(スイートミント3話)
ハーブおばさん「当たり前でしょう! これを自慢しなくて何を自慢するの? 人生は楽しむものよ!」
ミント「おばさんの場合、よく遊ぶものね」
ハーブおばさん「あら、いいじゃない! 遊びの心がなくちゃ、なぁんの楽しみもないわぁ」
明日は待ちに待った日である。「機動戦士ガンダムLD-BOX後半」が出る日である。 しかし今月はあんなこんなで金が無い。無理して買うべきか、給料出るまで待つか。なに、買わないって選択枝はないのかって?愚問である!これを買わないで何を買うというのだね。なんか偉そうな自分である。しかしアレですね。もう本放送から20年ですよガンダム。あの時はまだ小学生5年であった。あれから20年も生きてるなんて奇跡である。生クラゲ食べたり残飯あさった事もあったなー。懐かしい思い出だが、この時期がなかったら今の私は無いであろう。
(日記3)
調子にのってチェーンジゲッター3!スイッチオンと叫びながら湯船に潜る。俺っていったい何歳?
(日記1)
「ナイス蚊っち発動承認!
(日記80)
了解!ナイス蚊っちセイフティーデバイスリリーブ!
うおおーーー!ラケットコネクトォ!ゴルディオンナイス蚊っちぃぃぃ!ふん!」
割と小さい声で言ったのですが・・・もう気合入りまくり!一体何歳なんだ私ってば。
2019-10-17 スイートムーン
「スイートミント」のイタリア版「ドルチェ・ルナ」。またまたクリスティーナの歌のネタ。
その1 Dolceluna che serenità (スイートムーン、何というセレニティー) ← この歌詞、セーラームーンのイメージを先取りしてるね。さてはて、モモ型の変身は「別の職業の別人物に変身」「アイドル歌手に変身」等のパターンだったが、マリーベル型は「自分自身の上位バージョンに変身」。当然、セラムンはマリベ型。中間にあるミントは、ホントその二つの中間的で、魔法少女史の中で面白い位置にあるかと。雰囲気はもろにモモっぽいんだけど(特殊技能を持つプロに変身)、外形的に「別人」に変身してるわけではないんだよね。姫ちゃんみたいに校長先生に変身したりはしない!
その2 児童合唱のバックコーラス「ドルチェルナ、ドルチェルナ」。まあ普通っていうか、当たり前のパターン。と油断していると…。曲の末尾で、児童合唱が先に出て、2個目のドルチェルナにかぶせるように、クリスティーナが2倍の遅さの同じメロディーで「ドールチェール~~~ナ~~~」と歌う。速度差(倍率)のあるカノン。さすがイタリアは音楽の国! ふわふわしたムードがいい感じ。楽譜には dolcissimo とか書いてあったりして(笑)。ドルチェルナの歌はドルチェでゴー!
その3 もしもミントがもっとヒットしていたら…。ミュウミュウのミントは弓形アイテムを使わないし、ミント(ーン)アローとも言わなかっただろうし、そもそもキャラ名がミントではなかっただろう。そしてエヴァのペンギンもペンペンではなかっただろう。ひょっとするとポケモン・アニメのイミテのキャラデザも少し違ってたかも?
↑左が本物のミント。右はポケモンのイミテ。ミントのイミテーション(笑)
8話のミント「1、2、3、4で『いらっしゃいませ』ってご挨拶よ!」 訳の分からんこのノリ、なんか「ようこそようこ」っぽい。
2019-10-20 ポケモン・アニメのイミテ(キャラ名)とスイートミント
左が「魔法のエンジェル スイートミント」のミント(1990)。右がポケモンのイミテ(2000)。まさにパチ物、イミテーション。1990年代初めの葦の丁寧な作画に比べると、明らかにコスト削減・量産型。星形のイヤリングとペンダント(いちいち描くのが大変)が、大きな1個の星(手抜き)になってるところが切ない。顔の輪郭線も、あまり繊細な感じではない。ミントは同時期の作品(ぴえろ系)と比べると手抜きともいえるが、ほんわかした魅力がある。肩が凝らない感じ。そして、その手抜きともいえるミントと比べても、後の量産型アニメは…
「ミント vs. イミテ」については、10年くらい前にもこのページでネタにしたが、そのときはテキストだけで比較画像を掲載しなかった。ポケモンアニメといえば首藤、首藤といえばモモ、モモとミントは同じ葦プロ魔法少女。接点はあるわけで、意識的に(パクリというよりネタとして)ミントをまねた可能性も…。実際「変身できる」という設定なので、制作側の心象として「魔法少女」に結び付く可能性は大きい。とはいえ首藤がミンキーモモを出したらあからさま過ぎるし、マリーベルでは外見年齢が合わない。葦プロつながりとすれば「ミントのパロディー」になるのは、必然といえよう。キャラ名自体イミテ(国際版では Duplica=複製さん)。初登場エピソード(1997)のタイトルは「メタモンとものまねむすめ」。
↑サトシに「変身」したミント…もといイミテ。フシギダネは林原、ピカチュウはもちろん大谷。変身しそうな声優に囲まれてるぞぉ。「ピカピィ、ピカピィ」(訳=パラレル、パラレル)
この手のミント・ネタで最も有名なのは、何といっても「スイートミント vs. ミュウミュウ・ミント」のアロー問題でしょう!
↑左=スイートミントのミントとそのアイテム「ミントアロー」。ディテールのある、結構手の込んだデザイン。たぶんですが、おもちゃとしての売り上げが重要だったのでしょう。攻撃用アイテムではなく、変身用。戦いの物語ではない。
右=ミュウミュウのミントとそのアイテム「ミントーンアロー」。こちらは敵を狙って撃つ道具。コンピューターを使った光の効果は華やかだが、アイテム自体は省力的デザイン。
が、あれは偶発的にかぶっただけでしょうから、ここでは蒸し返さず「ミント vs. セラムン」という別の切り口を考察したい。まずは「スイートミント」のこの画像を見ていただこう。
一目瞭然、今にも「ミント・ティアラ~」とか言いそうである。イタリア版が「ドルチェルナ」(=スイートムーン)と呼ばれ、その主題歌に「セレニティー」に当たる言葉が入ってるのも、セーラームーンを連想させる。イタリアでのその辺の認識については、機会があれば、いつかご紹介したい。ちなみに、上記引用画像は「ファンタジーの絵本の世界に入り込んだ」という設定の「物語内の物語」の場面。ミントは全体としては「敵と戦う殺伐とした話」ではなく、ほんわかした作品(変身後の姿は毎回変わる)。それと、このデザインはセラムンのパクリやパロディーではない。セラムン(1992~)の方がミント(1990)より後。
今の世代から見ると「生まれる前の話なんて知らん!」だろうけど…。バブルが弾ける直前は経済的に絶頂期だったので、損得をシビアに気にしないような、おおらかで不思議な作品が生まれる余地があった。バブル崩壊で絶不調になって、ずっと LD も DVD も出ず、セーラームーンやポケモンのような「勝ち組」作品の陰に隠れ、忘れ去られてしまったが、純粋に内容を評価した場合、セラムン初代はもちろん名作だけど、その少し前の良作(きん注、ミントなど)には、勝るとも劣らないものがある。純粋に女児向けの作品については「今のような期待」は、できない。「オタに買ってもらわなくても経済的に成り立っていた=売り要素としての萌えを混入させていない」ので。「そういう打算のない、純粋に楽しめる作品」があった…ということが「お金には換算できない価値」なのだが、たぶん同意してくれる人は少ないだろうな。
でも別にいい。「ホントにそうだよね!」と思ってくれる少数の仲間と、しみじみ語り合えるだけで幸せ。大勢で騒ぎながらスピード消費・大量消費するのは、疲れてしまう。一気読み・一気見をしないで、ゆっくりと時間をかけて出会い、楽しんでほしい。素直な心は、他の誰にもまねのできない宝物。君は君だよ、だから誰かの望むように生きなくていいよ。
2019-10-29 不適切なロボット? 「鋼鉄ジーグ」29話より。
いくらボケ役とはいえ、訳の分からんデザインである!
映画「Dr. Strangelove」にも、性的なほのめかしを含むイメージが多い。被爆国から見るとストーリー自体がふきんしん(ふきいしん?)かもしれないが、あれは「悪ふざけ」ではなく「ブラックユーモアの形で批判している」のではないだろうか。…と見せ掛けつつ、やりたい放題やってるのかもしれない(笑)。
2019-11-19 Now or Never 人生3000メガ
アシスタント物語に書いてあった…。「今日中に必ず描かねばならない原稿は、机にかじりついてでも絶対今日中に描く」「それが出来るか、出来ないかで、まんが道が大きく変わる」「たった一日の、その瞬間の選択が将来を決定するだろう」漫画に限らず、何にでも当てはまる心掛けでしょう。何しろ人間の時間は有限、今は1回きり。(あくまで原則論で実用上は1回仮眠して翌日未明にやった方が効率が良い場合もあるだろうけど。)
人からどう思われるかとか、格好いいとか悪いとか、そんなインターフェース層にこだわっていられるほど人間のCPUは暇ではない。意識が起動してから終了するまで、せいぜい3000メガ秒。1日86キロ、1年あたり31メガ秒ずつ減っていくタイムスライス(睡眠=デフラグ、食事=充電も含めて)。
逆に1日たった15分でも集中してやったことは、それが毎日なら、人生全体では「1年間一睡もせず、飲まず食わずで全力で続けたのと等価」。すげえ違いだよね!
アシスタント物語によると、漫画家に必要なのは四つあって、絵・物語・キャラクター・演出なのだそうだ。一方、さいとう・たかを(ゴルゴの作者)は、漫画家として成功するために一番大切なものは「運」だ…と言っていた(うろ覚えの記憶だが)。漫画のプロの世界のことなんて自分には何も分からないけど、そうだよなぁと思う。特定の作品(漫画に限らない)が大きな影響力を持つかどうかの一番重要なパラメーターは「運」というか「偶然」。作品を形にするための最低限の構成力は必要だが、作者の属性(天才性)は触媒にすぎないというか(具体例として、さくらももこは、別に絵がうまいわけではないが、なぜか大ヒットしたし、ウェブの xkcd なんて棒人間だし…)。どんな優秀な作者でも作品を完全にコントロールすることはできず、むしろ「作品が中心=素材の実体で、作者は脇役=加工者なのだ」と。「そんなこと言っても、作者がいなければ作品は存在しないわけで…」というのは当然の反論でしょうが、15年くらい前から、少なくともネット上では、必ずしもそうではなくなっている。具体例として、とりあえず「オリジナル作者がはっきりしないミーム的なもの」「みんながいろんなバージョンのパロディーや改変を作っているテンプレ的なもの」。
そういう立場から見ると、漫画やアニメやゲームも、あるいは音楽や文学も、程度の差はあれ、模倣し合いながら少しずつ進化してるんじゃないかな、と。95%は同じ基底クラスの継承とするなら、5%の作者の実装は、無関係ではないけれど「作品の価値を100%決める要素」でもない。広まるか広まらないかという観点だけなら「たまたまその時代・タイミングに合っていて、いろいろな運に恵まれる」という偶然も大きいかと。で、ネット時代の良いところとして、「広まらないけれど自分的にツボなもの」と出会える確率がすごく増えた。昔なら、基本的に、出版社がつかなければ作品は生きられなかったけど、今はそうじゃないので…。多数派と好みが違ってる読者にとって、この多様性はうれしい!
2019-12-01 カミーユ母の元ネタ発見? 髪形までそっくりなので、意図的オマージュか。
左=ジーグ39話「母に捧げる戦いの歌」(1976年)
右=ゼータガンダム3話「カプセルの中」(1985年)
シチュエーションはどちらも同じ(主人公の母親が人質に取られ、これ見よがしに透明カプセルに入れられて「母親の命が惜しければ…」的な脅迫材料に使われる)。
← 関係ないが「えり子」にもこんなシーンが…
発見その2。「メキニ・メキニ…」はヒミカ専用の呪文ではなく、ミマシも同じ呪文を使う(38話)。
発見その3。「ジョー2」3話のパチンコ屋さんで「青い風切って走れあの島へ」(青い珊瑚礁)という曲が流れている。このイントロの後ろに「しあわせショップは不思議がいっぱい」(スイートミントOP)を連結しても、メロディー的に違和感がない。「ほら飲んでごらん、冷たい水をあげましょう」(フローネ物語)もまあまあつながる。これらの旧作を知ってる方は、面白いので口ずさんでみてください。
2019-12-24 イタリア人はユーフォーロボがお好き 原産国の日本でもこんなパレードはしないでしょう(2019年)。
グレンダイザーはイタリアで最初に(初代マジンガーより前に)放送されたこの手の作品。日本では「ガンダム世代」という表現があるが、イタリアでは「グレンダイザー世代」という言い方があるらしい(イタリア語版の題名は「グレンダイザー」ではなく Goldrake だが)。
ロボット物はもともと男児向けでしょうが、イタリアでは女性ファンも多い(ジーグもそう)。沿道に詰めかけてる。
逆に男の子もベルばらやキャンディキャンディを見てたという。
2020-01-13 悩ましい旧作ブルーレイ
とある旧作のBDが発売予定なのですが…どうもSD収録2枚っぽい(1枚に10時間)。これって結局、DVD-BOXと同等の中身では…(もしかすると、むしろ劣化している)。
首藤氏は言った。「僕の意識としては、TVの大きさは14インチである。(中略)子供の狭い視野には、ただでさえガチャガチャと動き回るアニメなど、14インチが適当だと思っている」
SD放映前提の当時の作品は、当然、SD視聴に最適化されている。例えばミンキーモモを 1080p にしても何のメリットもなく、むしろオリジナルの意図に反する。
そういう意味では、BDだけどSDという一見不思議な仕様も、場合によっては「良い選択」。新たに買うとしたらコンパクトになるメリットもある。けれど LD-BOX や DVD-BOXを既に持っている作品の場合、同じものを2重3重に買わされるのは、引っ掛かる。もしかして「出せばファンはまた買うだろう」となめられてる??? どうせなら「超くせ」みたいな、全然何も出てない作品をメディア化すればいいのに(?)
旧作でも「BDになって見た目は良くなった」ケースはあるでしょう。けれど昔の作品はSDでちょうどいいのに、「手抜きのアップサンプリングで実質的には劣化」というケースもあるのでは…。旧作の良さは、手描きの温かみ。作り手の愛情と人間的な深み(リアルの経験)に裏打ちされたストーリーの面白さ。解像度や画質のきれいさにとらわれて(「BDは無条件でDVDより上」という詐欺的なイメージ戦略)、大切なものが軽視されているような気がする。
2020-01-01 妖精の「よう」
ゼロでもともと、こころに太陽♪
2020-01-25 アイドルって、た~いへん!
田中陽子さんという方は、1990年ごろ「パンチラで有名なアイドル歌手」だったらしい。そんな訳の分からんジャンルがあるのか…という感じですが、なんか短いスカートをはいて、歌の振り付けでわざわざ高速に回転するらしい。本人的には、それはまだ許容範囲だったという。ところがもっと露出度の高いことを要求され、それを本人が拒んで、行方をくらまして、結局すぐ引退することに…。
「アイドル」といえば「虚像が売り物」。でも「アイドルの中の人」は生身の人間なので、悩み傷つく…。早朝から深夜まで仕事させられて…。そんなことをたまたま知り、アイドル業界のブラックさを垣間見た気がした。中嶋美智代さんも、本当は嫌なことを強制されたのだろう。元をただせば、そういうものを見たがる人が世の中には結構多い…ということなんだろうけど。
2020-02-09 アイドルって、た~いへん! その2
「清純派アイドル」という言葉もあるので、いろいろな「派」があるのだろう。「パンチラ派アイドル」(?)ってのは、びっくりだが…。しかし、やはり人間には譲れない一線がある。「ポルノのようなことはしたくない!」と失踪してしまうのは、現実的にものすごい決断だったに違いない。芸能プロダクションから見れば、迷惑・無責任で「素行不良」ということになるのだろうが…。
アニメの「ようこ」がリアル田中陽子の運命を予言していた、と言う人もいる。実際、アイ・プロダクション(ようこが所属することになる弱小組織)は、第1話でアダルトビデオの出演者をスカウトしている。社長とスカウトマンが「未成年だからやばい・警察に捕まる」「脱がせる・脱がせない」的な議論を…(子ども向けアニメとしては過激だが、同じ首藤は、海モモのOVAでも、メインキャラとして娼婦を登場させている)。当時、リアル陽子は17歳だったらしい(アニメのようこは14歳?企画書では15歳とも…しかし12月12日が誕生日だとすると、放映途中で1歳変わるんだよね)。最終話では、劇中劇の設定ながら「ようこに会えたのは、ごく短い期間だった」という趣旨のせりふがある。アニメが1年未満で打ち切りになったことを指すメタ的な言葉なのだろうが、リアル陽子も1年くらいで引退した。
主人公のアイドルが失踪して関係者がパニックになる…というのは、「ようこ」ではなく前作の「えり子」で予言(?)されている。「よっきゅんコーナー」出演の参考として本人が前作の「えりりん」をある程度、見て知っていた可能性は高いので、フィクションの「えり子」の失踪が、リアル田中陽子の失踪に微妙に影響を与えた可能性も。
「ようこ」は、リアルのアイドルとタイアップしたアニメ。なのに「アイドルは金になる!」「アイドルは宣伝さ!」「そうすりゃ音痴も大根も…」なんて、スポンサー批判的な挿入歌もあった。
田中陽子さんは「デビューしたけど売れなくて、すぐ消えたどうでもいい歌手」ではなく、自分の意思で「はい、わたしは嫌です」と行方をくらました人。まれに見る「考えのはっきりした」アイドルだった。だから結局、実はとっても「ようこ的」なのかもしれない。
2020-02-10 アイドルって、た~いへん! その3 ようことベルダンディー
短期間しか活動しなかったマイナーな歌手・田中陽子をご存じない方でも、「ああっ女神さまっ」は国際的に超有名なので、知ってるでしょう! 田中陽子さんはあの有名な漫画に、チラッと登場している(案外ご本人も知らなかったりして…)。確かウルドが声帯模写の名人という設定の場面で、ベルダンディーが「よっきゅんコーナー」と言って、ウルドが田中陽子のまねをする…というような流れだった(1991年ごろ)。なぜ「えりりん」や「ミッチー」でなく「よっきゅん」なのかは誰にも分からないが、きっと藤島先生も「ようこ」が好きだったのでしょう(笑)。ちょうど制作のタイミングで「ようこ」が放映中だったのかも。考えてみると、ベルダンディーとようこって、波長も合いそう。「住む家ない二人がさまよって、ご都合主義的(?)に住む場所が見つかる」っていう最初の展開も「ようこ」と似てる。
「ああっ女神さまっ」には確か、笠原の名前も出てくる。螢一は、意外とミントの曲なんかを聴いていたのかもしれない(笑)。そして螢一くんの友達のアニオタの人は、確かファンシーララみたいなのを見ていた。連載開始が1990年前後なので、そんな感じの時代背景。人気が出過ぎて連載が長期化し「こち亀」状態になってしまったが、最初の方は新鮮だった。ベルダンディーのキャラには「やまとなでしこな日本人女性」という間違った(現実と懸け離れた)イメージを世界的に広めてしまった…という副作用もあったかもしれない(?)
ベルダンディーのキャラデザインは特徴的で印象的だが、まれに「輪っかが2個あるように見える髪形」で描かれてることもある。この点も、ちょっぴり、ようこっぽい。
2020-02-17 アイドルって、た~いへん! その4 柿本(梨元)
「えり子」の突撃芸能リポーター柿本さん(画像・上)は「ようこ」にも登場するが(画像・中)、「超くせ」にも似たキャラを発見(画像・下)。
アイドル伝説えり子・最終話
アイドル天使ようこそようこ・30話
くせになりそう♥・21話
このキャラは、リアルの「梨元勝」という人に基づいているらしい。えり子・ようこでは「柿本」とクレジットされ、同じ声優が担当している。
ようこ30と超くせ21は、展開が似てる。どちらでも大事件があって、アイドル歌手が人質に取られる(どちらの歌手も能天気)。突撃リポーターは、それを取材・報道。警察はお約束の説得。
ようこ版→「君たちは完全に包囲されている。直ちに人質を解放して、出てきなさい」「君たちのお母さんは今頃泣いているぞ」(犯人は答えの代わりに、戦車で強行突破)
超くせ版→「君たちは完全に包囲されている。人質を解放して、おとなしく出てきなさい」「国のおっかさんが泣いているぞ」(犯人は答えの代わりに、機関銃を乱射)
2020-02-21 アイドルって、た~いへん! その5 田中陽子 vs. かないみか
田中陽子はアイドル歌手としては大して活躍しなかったが、失踪アイドルという異色の存在。考えようによっては「ポケモンアニメ」にも間接的に影響している。
ヌード写真集的なものの被写体にされるのが嫌なのに、それを強制されそうになり、所属する芸能プロダクションから逃亡、一時行方不明になってしまった…という。名目上だけとはいえ首藤作品の主人公となった彼女は、くしくも首藤が繰り返しテーマにした「アイドルという存在の意味を問うこと」を自分の人生の選択として、リアルに体現していた。首藤自身は、田中陽子をあまり評価してなかったようだが…
首藤の「くせになりそう♥」のアイドル歌手・白鳥なぎさ(フィクションのキャラ。部分的に「ようこ」を継承している)も、ヌード写真を一度は承諾するが、外部からストップがかかり「そんなことをしなくても輝ける!」という結論になる。田中陽子(リアルの元アイドルで、首藤の「ようこそようこ」の名目上の主人公)は、同じ選択を(外部からのストップではなく)自分の意思で選択していた。他方、どちらの作品でも「金の力でアイドルを“作る”こと」が痛烈に批判されている。「ようこ」は芸能プロダクションとのタイアップ作品だが、アニメのシリーズ構成を担当した首藤自身は、タイアップをあまり快く思っていなかったらしい。
田中のファースト・シングルのタイトル曲「陽春(はる)のパッセージ」とカップリング曲「一人にさせない」は、それぞれアニメ「ようこそようこ」のOPとEDに使われている。上述のように、これは「営業上のタイアップ」で、アニメの内容と曲の内容はほぼ無関係。
資料によると、ED「一人にさせない」の出だしは「悲しいことが」。ところが、実際に田中陽子・本人が歌ったもの(CD音源)では「悲しいことは」と聞こえる。歌詞カードと実際の歌詞が違う? 歌詞を間違って歌ってる?
「歌詞カード、テロップ、実際の歌詞が違う」というのは、当時、同じアニメ会社の別作品でも起きた。今と比べると、おおらかな時代だった。
「悲しいことが」の次のフレーズは「弱い気持ちは」と始まるので、録音のとき、新人歌手が緊張し過ぎて「が」と「は」がこんがらかった…という可能性もゼロではない。しかし、いくらなんでも自分の持ち歌の出だしを間違えるだろうか…。リアル田中陽子は「悲しいことが」と歌っているつもりだった…とするなら、まだデビューしたてで、滑舌があまり良くなかったのかも。
アニメ版の「ようこ」役の声優「かないみか」が歌ったバージョンでは、ちゃんと「悲しいことが」と聞こえる。さすが声のプロ、言葉が聞き取りやすい。比較サンプル: tanaka-kanai.ogg(5秒。同一箇所の田中版・かない版2.5秒ずつを連続させたもの。引用の出典=DVD-BOXのおまけCD)
このED、普通にアニメのEDとして始まるのだが(曲はリアル田中バージョン)、途中で不意討ち的に実写の顔が挿入される。かわいらしいアニメの絵と交錯して半透明的に浮かぶ「実写の陽子」の顔は場違いであり、心霊写真のように不気味。昔、トラウマになりかけた。「アニメのOP/EDが歌謡曲のプロモーションを兼ねることもある」なんていう「大人の事情」を知らず、ましてやその「心霊写真のようなもの」が「無理やり裸にされようとしている悲痛な商材の姿」であることなど、知るよしもなかった…
2020-03-03 「ぶきっちょ・がきんちょ・ヒヤヒヤドキッチョ」などの「ちょ」の法則性
漫画・アニメにおける「変なチョ」には30年以上の歴史がある。
「げんき きかんき ワンパクムーチョ」「ちびっちょ からだで ヒレキック」「茶目っけ ちょこまか ブルンコムーチョ」 ハゼドン(1972)
「アッチョンブリケ」「シーウーノ アラマンチュ」 ブラックジャック(1973)
「クルクル バビンチョ パペッピポ」「ヒヤヒヤ ドキッチョのモーグタン」 まんがはじめて物語(1978)
「はっちゃけナスビ パックンチョ」 おねがいマイメロディ すっきり♪(2007)
末尾の「ちょ」には「頂戴」の影響もあるだろう。「してちょ(うだい)」「見てちょ(うだい)」のように動詞の連用形には「てちょ」を付けられるので、それを拡大解釈・乱用して「もう寝るちょ」「びっくりちょ」「どきっちょ」などが生じ得る。でも…ここには、隠れた別の法則性もあるようだ。
「かっちょいい」の「ちょ」は、k の異化かもしれない(※異化=一つの単語の中に同じ「音」が2個あるとき、その一方が違う「音」に変化すること)。kakkōii > kakkoii の語中の kk が、語頭の k によって異化されて ch に変わった、と解釈可能。なぜ「こ」の異化の結果が「ちょ」なのか。これは逆に「超かっこいい」の「ちょ」に引かれて「超かっちょいい」に同化したのかもしれない。
こじつけかもしれないが、「がきんちょ」の ch も *gakikko の kk の異化、「ぎっちょ」の ch も (hidari)kiki の2個目の k の異化かもしれない。異化という点にこだわらず「変なチョの前には k やその有声音 g が現れやすい」という仮説を検討してみよう。
そうなってる例=かっちょいい・ぎっちょ・ぶきっちょ・がきんちょ・がちょーん
いずれも「ちょ」の直前の音節にカ・キ・ギがあり、やはり何かパターンがありそうだ!
アニメの「ドキッチョ」「パックンチョ」も、人為的に作られた造語なのに、同様のパターンに従っている。
反例は「ふとっちょ」。futotteru からの変化と仮定すると、これは t の異化に当たる。「て」→「ちょ」の別の例は「変てこ→へなちょこ」。理屈はともかく「変なチョ」の前にはカ行音・ガ行音が現れる確率が高いこと、そして場合によっては異化が関係している可能性が示唆される。
ここで考えている「変なチョ」というのは「もともとあるチョ」(例=マッチョのチョ)や「チョウが短くなったチョ」(例=イインチョのチョ)ではない。「ムーチョのチョ」は「もともとあるチョ」だが「ムーチョ」と韻を踏んで「ちびっちょ」が現れるところが、首藤節の先駆けのようで面白い。蛇足だが、マイメロの「パックンチョ」については「バックンチョ」説もある。ここではサントラ表記に準拠した。
2020-03-07 アイドルって、た~いへん! その6 水たまりの太陽
田中陽子の2ndシングルのタイトル曲「夕陽のクレッシェンド」(資料によると1990年7月リリース)も同じアニメの挿入歌として使われたが、田中本人ではなく、かないみかが歌っているケースが多い。「ようこ」では、第15話「翼に夢を乗せて」で、かないが歌ったのが最初。カップリング曲「水たまりの太陽」には、4種類のバージョンがある。アニメでの初出は34話「わたしのジュリエットPART1」。画像のように、いかにも「水たまりの太陽」のアニメ・ミュージック・ビデオといった作りだが、曲名がクレジットされるわけではない。約1分10秒にわたって、ストーリーとほぼ無関係に唐突に挿入される。
↑ 静止画で見ると水の形状がシュールだが、動画で見るとそれほど不自然ではない
水たまりの前に立っているのはサキ(林原)
田中本人の歌ではなく、流れるのは林原めぐみが歌うバージョン。林原というと、ふてぶてしい役が多い気がするけど、この作品では、ちょっと弱気なサキという役を演じた。首藤作品は「夢がどうこう」とお説教くさく言う傾向があり、あまり感心しないのだが、「わたしのジュリエット」2部作では「説明せず、無言のうちに見せる」という王道の戦略が使われる。リアルの若手俳優がストーリーの原型を作っていて、脚本家が頭で考えたのとは一味違うリアリティーがあった。演劇における「代役担当」という設定。非常時の代役(補欠)なので実際にはまず出番はないが、いざというときのピンチヒッターなので練習は必須。「表舞台で活躍できないと分かっていても全力で取り組む」という状況が、説得力を持つ。
高校野球のバックホームで、逸球したらサヨナラ負けと分かっていても、捕手の後ろへカバーに走る投手…みたいな。本番中、当たり前のように舞台裏で一緒に踊っているサキ。客観的には「見えない舞台裏で踊っても意味がない」けど、それが舞台上より輝いているという名場面。
「水たまり~」の歌の内容は、荒唐無稽だった。帰り道で雨が降り出して、傘がなかったので、ランダムな通行人の傘に飛び込んだら(クレイジー)、それがたまたま憧れの相手でラッキー♪ ご都合主義(笑)。相合い傘で家まで送ってもらえることになったので、調子に乗ってわざわざ遠回りさせた上、相手が「既に雨がやんでいること」に気付いていないので自分も黙っている。かわいい乙女の歌なのか、ずる賢い女の歌なのか、うれしくて胸がドキドキする描写が「チク・タク・ボン!」という柱時計のような擬音語。それに合わせて、サキが水たまりのある歩道を「パシャ・パシャ・パシャ!」と飛び跳ねる。歌はアホだし作画もシンプルだが、演出が楽しい。
(※「チク・タク・ボン!」は、最終回の別の挿入歌でも再利用されている。歌詞表記は、いずれも Chick-Tack-Bon。)
「水たまりの太陽」で一番記憶に残っているのは、40話「レッツシングwithバード」。小鳥たちがこれを歌う…という突拍子もない設定。「マリーベル」で花たちが「お花も立派な生き物ですよ」と歌うシーンがあるが、そんな感じの童話風。アニメでは使われてないが、かないバージョンの「水たまりの太陽」もある。田中の歌では「ラッキー」と「チク・タク・ボン」の間は休符だが、林原バージョンではそこに「ウ・ウー」みたいな2音節の合いの手が入る。かないバージョンでは同じ場所に「ンー」というハミングのような長い1音節の声。
結局「水たまり~」には、田中・林原・小鳥・かないの4種類のアレンジがあった。田中版は歌謡曲のCD、かない版は声優のCD、小鳥版はLD-BOXの同梱CDに収録されているが、林原版の音源はどこかにあるのだろうか?
ようこの歌とわぴこの歌って同じ「かないみかの歌」なのに、違うんだよね。ちゃんと、ようこはようこ、わぴこはわぴこに聞こえるという…。「さすがプロ」という感じだが、わぴこの後で再びようこの声を出すのは大変で、本人も苦労したらしい。
本多知恵子さん(キテレツのみよちゃん=「えり子」の
2020-03-10 だけどルルルル… → 夜を切りさく白い流れ星
「あしたのジョー」(初代)の主題歌は鮮烈で印象深いが、途中の「だけどルルルル~、ルルル~ルル~ルルル~」という部分は微妙。基本的問題として、ジョーは「ルルルル~」なんて言いそうにない(キャラ違い)。技術的問題として、メロディーに対して歌詞が不足して「ラララ」「ルルル」などとパディングを入れるのは格好悪い。笑っちゃうでしょうが、このどうでもいいようなことが昔からずっと気になっていて、最近も断続的に思い出しては考えていた。
置き換え案は「白い流れ星」。理由は三つ。一。夜流れ星が走って「あしたにゃ、きっと何かある!」というのは、つながりがいい。二。突然現れ、美しく輝く流れ星は象徴的。華やかな活躍と同時に「燃え尽きる」ことが暗示される。三。それに関連して「白」というキーワードを入れられる。
問題は、この「白い流れ星」をどう料理するか…。「この先どうなるのか分からない五里霧中、暗中模索、闇の中だが、そこを流れ星が走るんだぜ」という展開にしたいが、メロディーの関係上、あと7音に収める必要がある。言葉的には「闇を」か「闇夜」を使いたいが、メロディーの動き方との関係で「夜を」の方がうまくいく。残りの4音は「翔けゆく」のような言葉だが、直前が「けものの血が騒ぐ」なので、突然ロマンチックになるのも不自然。「夜をギラギラ」か「夜を切りさく」あたりだろう。ギラギラは変なので、暫定的に「切りさく」としておく。
…あなたなら「だけどルルルル~」をどう置き換えますか(笑)?
2020-03-20 「超くせ」35話で背景にチラッと映る人物は「ようこ」のサキのカメオ?
↑左=「くせになりそう♥」35話より。右=似たポーズのサキ。「ようこそようこ」41話より。
2020-03-23 マル秘 ㊙ のようなマル超
という題名をタイプできないのは、作品の話をする上で少々不便。問題は○の中に「超」が入っている「マル超」の部分。
Unicode 仕様上は U+8D85 [ 超 ] U+20DD [ ⃝ ] COMBINING ENCLOSING CIRCLE でできるはずなのだが、一般的には、あまりサポートされてないっぽい…
テスト → 超⃝
…ので、とりあえず簡易的にPNG画像で作ってみた。16色バージョン 。ClearType バージョン
。理論的には SVG で作るか、フォント指定で PUA を使うのがいいのかもしれないが、良い子のブラウザ設定では、SVG も @font-face もデフォで無効かもしれないし。
2020-04-12 ヘルシング かぎ十字の作画ミス?
写真に撮ったら、なぜか逆周り(鏡像)に…。原作では、この現象は起きていない:
現実的に考えた場合、せっかく敵艦を乗っ取ったのに、わざわざ自分から「かぎ十字」を描いて異状(敵性)を告知するのは良い作戦とは思えない。そのまま普通に「味方の船」として敵の懐に飛び込み、突然大暴れする方が得策でしょう(笑)。ここにわざわざアーカードを送り込むのも、疑問手。もはや敵艦なのだから、さっさとミサイルでも撃ち込んで、沈めちまえばいいのでは…。ナチス側にしても、いざとなったら自爆できるように準備しておいて、アーカードが乗船したら船ごと爆破・自沈してしまえばいいじゃん。アーカードを放置して迎えにいかないのも意味不明。
あくまで「ドラマ(お話)の演出」「ストーリー展開上の都合」ということで…
↓は「押韻しり取り」のような遊びです。
2020-05-06 罪深い(?)南国土佐のアイス
久保田を知ってから、ハーゲンダッツがおいしいと思えなくなってしまった(まずいとまでは感じないが…)。入手しやすさが同じくらいなら乗り換えればいいだけだが、現実はそうシンプルではない。入手しやすい製品が楽しめなくなるのは、現実的には不便。だからみんなも…。無理してわざわざ、入手しにくいマイナーな旧作なんか見ない方がいいよ。「きれいな新作デジタルアニメの方が上に決まってるじゃん」「SDがHDにかなうわけないじゃん」という幻想が破壊されるのは、ある意味、不幸なので。
あめの世界でいえば、デリシャスミント(デリミン)。おいしかったけど、もう本物(ほしや製菓)はなくなってしまったらしい。手に入らないなら、むしろ知らない方が幸せ。
アニメでいえば、ミントつながりで、スイートミント。作画のクオリティーとかは別に普通だけど…ジェットコースターに乗るとイヤリングが揺れるんだよ。数パターンを入れ替えているだけのリミティッドアニメとはいえ、手描きでよくやるよなーと。あのほんわかした手作り感。別にミントのファンじゃぁないけど、なーんか異様にリラックスできる作品だった。
みらいちゃんの声が吉田理保子というのも、びっくり。ロザリーより後は「おばさん」のイメージだったのに、まさかの赤ちゃん役だった。さらに「優しいおばあちゃん」のイメージのある京田尚子が「お節介なお隣のおばさん」(花田ミドリ)を演じている。
2020-08-06 ナチの十字の向きの覚え方
中央の大きなマーク。前にもネタにしたが、もっと露骨に間違ってるシーン(ヘルシングOVA)。
正しい向きはどれでしょう?
勘違いを防ぐ覚え方を考えてみた。
方法1 ナチといえばSS。「ナチスのマークはSS」と覚える。「ZZ」になってたら逆!
方法2 ナチスは「ドイツは世界一ィィィ」みたいな国粋主義といわれる。つまりいわゆる「右」。だから右回り。左回り(反時計回り)になってたら逆。
方法3 ポケモン卍(まんじ)騒動を知っている人なら「卍はナチスのマークじゃねーよ、いいがかりはやめれ」。「卍と逆」という覚え方も…。「卍」は「まんじ」なのだから要するに「万」みたいになっていたら間違い。
方法4 ちょっと意地悪だが「バカ作画乙」という覚え方も…(乙になってたらバカ)
本作で一つ面白いと思った点は、少佐の有名なスピーチにおける飛田の役作り。「滅茶苦茶にされるのが好きだ」以降…昔、原作を読んだときは「とにかく戦争が好き。負け戦でも好き」というクレイジーな意味だと思っていたのだが(そういう読み方も可能だが)、飛田は、このせりふをもっと重層的でニュアンスのあるものにしていた。
ナチが英国に進撃するときの軍歌で、イギリスのことを普通にエングラント(England)と呼ばず、古風にエンゲッラント(Engelland)と呼ぶのも、ささいなことだけど、ちょっと面白い。
半面、マーチ風の音楽と、アニメの歩く絵がずれるのは感心しない。24000/1001 の2フレーム単位や3フレーム単位で単純に(周期的に)足を動かすと、同期可能な音楽の長さの単位(1拍)が41.708ミリ秒の整数倍に固定されてしまう。リアルの音楽の拍は一般に、そんなちょうどいい長さでないので、数秒ならごまかせても、10秒もやると同期がずれて、マーチの拍の真ん中で足を踏み出す情けない絵になる。よくあることだけど…
これを防ぐためには、理想的には、通常の「絵を作って後から音を入れる」方式(アフレコ)ではなく、先に録音して、その音に合わせて絵を作ることが望まれる(拍の中央で足が上がり、拍頭でビシッと地面に足を下ろすようにして、中間のこまを入れれば、正確に周期的にはならないが、曲と絵のずれを常に±21ミリ秒未満にできる)。とはいえ、現実的に、そんな制作方法は無理だったろう。ナチスがメインの一つなのに、ナチスのマークを何度も描き間違えるような厳しい制作状況なので…こんな単純ミスはチェックと直しの時間が十分にあれば、もちろん簡単に直せるわけで、要するに作画の問題というより、スケジュールがきつ過ぎるという問題だろう…そういう見えないところで遊ぶ余裕(素朴なリミティッド風に見せておいて、実は曲に合わせて1フレーム単位で作画)は、なかったのだろう。ハルヒのライブのシーンなんて、見るからに手間をかけているみたいだけど、それですら10秒連続で同じ楽器を見せたりしない。きっちり音楽に合わせてアニメーションを動かすのって、想像以上に難しいのでしょう、きっと。
オリジナルのストーリーではなく、漫画をアニメ化したもの。原作のオリジナリティーには及ばず、要するに二次創作・劣化コピー。猟奇的ともいえるので、そういうのが苦手な方にも適さない。というわけで、普通の意味でも、完成度の意味でも、お薦めできないけど、原作を知ってる方限定で…「飛田があれをどう読んだか」と「自分があれをどう解釈していたか」を比較してみるのは(どちらが正しいという問題ではないけど)、面白いかもしれない。
「イッちゃってる人のせりふ」ではなく「辛酸をなめ尽くした男の、皮肉・苦笑・自嘲が交じった『好きだ』」みたいな感じになっていて、なるほどね…と。素直に「実力のあるプロの声優って深い」と感心した。
2020-05-08 デレツン? 「逆ツンデレ」
べ、別にあんたのことが嫌いとか、そういうんじゃないだから。ちょっと手違いで、お弁当の材料が不足しちゃったから、わざわざ買うのももったいないから、作ってあげないだけなんだから。か、勘違いしないでよね、フン!
実はこれヘルシング関係の妄想からの発展なのですが…↑こーゆーキャラっているかねぇ?
2020-05-09 花梨(かりん)とタマエ
左=「ようこそようこ」の花梨&サキ、右=「ママは小学4年生」のタマエ&えり子。花梨とタマエって、ちょっと似てるでしょ?
花梨3部作の脚本を書いた影山由美は、ママ4の脚本も書いており、それはキャラデザとは無関係だが、何らかの形で間接的なつながりがあるのかもしれない。「えり子」という名前が出てくること自体、いかにも「ようこ」と関係がありそうな…。もちろん、ただの偶然という可能性の方が高いが。
「ようこ」は背景がゆがんでいるようにも見える。これは「あなたが見ているのは、舞台上での演劇(劇中劇)」というような演出のため。意図的に「演劇の舞台で使われる、絵に描いた背景」みたいになってるらしい。
2020-07-01 全然関係ないが、変な夢を見たのでメモ。なぜか首藤氏が登場して「花の子ルンルンは、日本に二つだけの珍しいタイプの魔法少女物ですね」みたいな訳の分からないことを言っている。それで自分は「ようこそようこも珍しい魔法少女ですよね」と言おうとしていた…。起きた直後は「そもそも、ルンルンも、ようこも魔法少女じゃないし。訳の分からん夢だな」と思った。が…今よく考えると「魔法を使わない魔法少女だなんて、珍しいですね…」って、首藤にぴったりの、深い意味のある言葉だったのかもしれない。あの世で首藤に会ったら、ようこ→ホッキョンのノリで「脚本家って、すぐ交通事故を起こしたがる人のことだったんですかぁ?」って言うぞ…とか時々くだらないことを考えているが、夢の中ではそんなことは思わなかった。
2020-10-17 ポケモンアニメの首藤剛志がウィキペディアに自分で書いたこと
むかし、むかし、…といっても、ガンダムの10年くらい未来に当たる昔…
「ポケモンの首藤」と書くと天国の首藤剛志はご不満でしょうが、世間一般的には、無印ポケモンや『ミュウツーの逆襲』が代表作でしょう。
首藤は2010年10月に亡くなっているが、なぜかその直前にウィキペディアにアカウントを作って、自作関連の項目を幾つか編集している。以下は「アイドル天使ようこそようこ」についてのもので、結果的には、遺書のようなメッセージ。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%93&diff=prev&oldid=34253811
現場スタッフを過酷な状況に追い込んだことは紛れもなく確かなことであり、首藤は当時の制作現場スタッフに対して、申し訳なさと限りない感謝の気持ちを2010年現在も感じていると語ることがしばしばある。また、サキが主役になった「私のジュリエット」は、不当な圧力をかけるスポンサーへの反感や反抗から生まれたシナリオだったとの噂もあるが、これは噂の域を出ない。
(※首藤は自分自身のことを「首藤は」と書いている。)
「アイドル天使ようこそようこ」は、ファースト・ガンダムと似ている。どちらも「スポンサーをだまして」制作開始された。どちらも52話で企画されたが、おもちゃが売れないというスポンサー側の理由により打ち切られ、43話になった。どちらもスポンサー側の判断により、2番目に重要な人気キャラを引っ込めるように圧力がかかった(ガンダムのシャア、ようこのサキ)。
首藤が上記でほのめかしているのは「スポンサーからサキを引っ込めるように圧力がかかったので、反発して、あえてサキが中心の2部作を作った」ということ。もともと別の人が書き込みしていた臆測についてのコメントに当たる。同様のケースで、もともとの記述が事実に反する場合には「事実ではない」と書き足しているが、この件に関しては「噂の域を出ない」という含みのある書き方をしている。「あえて否定はしない・そう解釈されても構わない・確かにそういう思いもあったかもしれない」というところだろうか…。同じアニメの別のエピソードで、F1レーサーが「頑張らないとね。スポンサーさん、そろそろイラついてるかもしれないし」と言うシーンがあるが、これも首藤が悪ふざけして書き足したせりふに思える。何しろレーサーがそれを言う相手は豊(ゆたか)。ユタカはこの番組のスポンサーだったおもちゃ会社である。
首藤は血の気の多い人で、目立ちたがり屋だったが、同時に(矛盾するようだが)気弱でデリケートでもあった。本当はサキに「サキューン」というニックネームを付けてもっと活躍させたかったのだが、さすがにスポンサーから引っ込めろといわれているキャラに、それをするのは遠慮したらしい。「ようこ」ではサキを最後まで守ったものの、ポケモンアニメでは、偉い人の独断で、一時、タケシ(首藤剛志と同名の…性格的にも分身のような…主要キャラ)を消されてしまった。
なぜ首藤本人が、突然ウィキペディアに書き込みをしたのだろうか。最初の編集によると: 仕事の関係で「アイドル天使ようこそようこ」を、ウィキペヂアを検索しましたが、関係スタッフとして、その記載には首をひねらざるを得ない部分が多くあります。記載された方に悪気はあるとは思いませんが、関係スタッフに近い方が、聞いたことに憶測を交えて書いてしまわれたように思います。しかし、違う部分は違いますので、訂正したいとは思いますが、その方法がよく理解できません。少なくとも、「スイート・ミント」のスの字も意識していませんでした。
首藤は「ようこ」について、誰にもまねのできない作品というプライドを持っていた。ところが当時のウィキペディアには「『魔法のエンジェルスイートミント』とも、かなりの共通点がある番組」と書かれていたため、それがお気に召さなかったらしい…。確かに「ようこ」と「ミント」は無関係ではないが、どうせなら「スイートミント」ではなく「マリーベル」と比較するのが筋だろう。ともかく、首藤が死の直前、自作に関連して本音のようなことをウィキペディアに書き込みしていた…というのは、興味深い。
2020-10-19 首藤剛志さんのこと(続き)
「ようこそようこ」は、一般視聴者にとっては無名に近い作品だろう。一方、漫画の「ああっ女神さまっ」は国際的に有名…。この「女神さま」に、無名のはずの「ようこ」のネタが入っている。一般視聴者にとってはどうでもいい作品でも、漫画家などのクリエーターの間では、結構注目されていたのかもしれない(ポケモンゲームを作った人たちにもファンが多かったとか)。
下記の場面(単行本5巻から引用)で、ベルダンディが言っている「よっきゅん」が「ようこ」のニックネームで、ウルドが乗せられて言う「よっきゅんコーナー」は、「ようこそようこ」が放送されていたとき番組の終わりにあったおまけコーナー。
一般に「ヨッキュン」「よっきゅん」と表記されるが(LD-BOX、CD-R、ウィキペディアなどでも、そう表記されている)、アニメの企画上、公式には「ヨ♥キュン」だった(玩具などには、この表記が使われている)。ローマ字で書いた場合、Yokkyun でなくて Yokyun…つまり k が一つ…という違いが生じる。下記は「ヨ♥キュン」ロゴの基本デザインで、確かに k が1個。
ちなみに「女神さま」漫画の英語版では、残念ながら k が2個書かれている。
首藤は、スポンサーから打ち切りを言い渡されたとき、悲しみのあまり(?)ミンキーモモ(空)を物語の中で殺してしまったことで知られる。このことは、いろいろに解釈されているが…モモのマニアの中には「人々に夢を与えるため、キリストが死刑になったように、モモはあえて死ななければならなかった」などと言う人までいる…首藤にとって、空モモの打ち切り事件が衝撃的・トラウマ的だったことは間違いない。ちなみに、モモを交通事故で死なせたのは、おもちゃ屋の(玩具を輸送する)トラック。打ち切りを決めた玩具メーカー(スポンサー)への恨みは、大きかったのだろう。
2010年、シリーズとしてのミンキーモモは再び死んだ。首藤たち原作スタッフと無関係に、モモを作った葦プロだった会社(現在は「葦プロ」に再改名したが、当時は違う名前だった)が、勝手にモモの二次創作を始め、それがひどい出来だった…という事件で、首藤はひどく動揺し、落ち込んでいた…。実質的に、ずっと作りたかったモモの3作目が(少なくとも葦プロでは)作れなくなった。こうしてモモが死んだ年、リアルで首藤も死んでしまった。
首藤の「作品」については、もちろん個人の好き好きだろうけど、首藤という「作家」は面白い人だなぁ…と思う(どうでもいいことだが、日本のアニメのうち世界で最も稼いだのは首藤作品なので、お金で物を評価する人たちからも、無視できない存在だろう)。ただし「ようこ」は少々風変わりな作品で、好き嫌いが分かれるだろう。ミンキーモモについて言うと、空モモはこの手の作品の元祖なので、歴史的には重要だが…「女性の社会進出」のような当時の時代性を背景にする作品であり、今見てもピンとこないかもしれない。夢を抱きしめての頃になると、林原さんが楽しそうに主題歌を歌って、海モモの雰囲気も結構好きだけど…橋のOVAも、クオリティー高いと思うけど…つまりモモを嫌いということはないんだけど、何というか、ミンキーモモって本質的に陰性で、子ども向けの心優しい作品ではないと思う。
2020-11-13 ようこそ笑い男
「攻殻(こうかく)機動隊」という漫画は、押井によって映画化され、その第1作目は鮮烈なものだった。当時この映画がきっかけで、日本のアニメの幅広さを「発見」した人も多いのでは…。題名からは戦闘的なものが予想されるが、それはあんまり本題と関係ない。「自分の存在がどんどんバーチャルになっていった場合、自分はまだ存在しているのだろうか。自分は自分なのだろうか」みたいな問い(それ自体は古典的)。それを説得力のある文脈で、詩情たっぷりに描いた。謎めいた祝詞(のりと)のような挿入曲が耳に残る。途中、この曲が流れて、せりふも説明も何もなく、川や雨の情景を淡々と映し続ける部分がある。催眠術のような不思議なシークエンス。押井は「脚本なんてどうでもいい。全ては演出」みたいなことを言っているらしいが、この場面に関する限り、本当に脚本上は何も起きず、演出に魅了される。
(原点ともいえる「うる星2」で、押井が首藤の脚本を拒絶したのは、脚本の内容が嫌だったのではなく、首藤が「脚本を書き換えられることを嫌う人」だったことが嫌だったのかも…。)
といっても、結論が出るわけではなく、思わせぶりに終わってしまう。ある意味ずるい。
アニメ版を作ったスタジオは、プロダクション・アイジー(Production I.G)。商業的に需要があると判断したらしく、「攻殻」をテレビシリーズ化して、続編的なものをいっぱい作っている。長年続いているところを見ると、実際に人気が高いのだろう。さて、テレビシリーズ1作目のSACでは、グリコ森永事件をトレースしたような「笑い男事件」が起きる。朝の天気予報番組の生放送中に、誘拐犯人がテレビカメラの前に乱入、社長に銃を突きつけ「この場で真実を語れ」と要求する。
あの天気予報、どこから生放送していたのでしょう? …どうも渋谷駅前らしい。I.G の公式の店(グッズを直売している)のウェブページに、はっきりそれと分かるイラストが…
このページ→ http://ig-store.jp/about/
アニメ内では明確な描写はないものの、あのシーンはこれらのイラストと同じ場所だろう。
イラストを見て、あっ!と思った。渋谷のディスプレイが乗っ取られ、笑顔のマークが出るとしたら、このマークを連想してしまう(笑)
左=笑い男のマーク、右=よっきゅんのマーク(「願い星・かない星・スター」)
もちろん両者には何の関係もないが、「ようこ」の最終回でも、ストーリー内で放送事故(ハッキング?)のようなこと起こり、歌番組のスタジオ内のモニターを乗っ取って、突然ようこの映像が現れる。
続編の描写によると、東京は壊滅してるので、この時点で渋谷は無事だったのか?は謎。「渋谷に似てるだけで、渋谷ではない」のかも。
「ハッカーがリモートから一般人の視野や記憶を操作できる」…電脳化がそこまで普及してるという設定。この世界でテレビ放送のようなものがあるとしたら、もっとパーソナライズされた双方向のストリーミングではないのか。「全国の天気予報」を「決まった時間」に「大勢の人」が一斉に視聴する必要がある、という20世紀的発想は、作品の世界観に反している。「こんな生放送が実在するはずない。笑い男事件そのものが、作られた記憶だった」という夢オチにもできるが、作品内的には、事件は実際にあったことになっている…。SF的近未来の「日常生活のディテール」をきちんと描くのは、難しい。
映画第1作へのリスペクトは相当なものがあり、逆説的に商業展開の妨げになるほどだった…。「あの感動を壊されたくないから、リメイク版は見ないことにする」みたいな考えの人が結構多かった。
2019-06-11 「風立ちぬ」の元ネタの元ネタ 堀の小説「風立ちぬ」の元ネタが、フランスの詩人バレリーの「風が立つ。生きなければ!」であることはよく知られているが、そのバレリーは、古代ギリシャの詩人ピンダロスの作品を引用している。その大意は「いとしき(わが)魂よ、不死の(無限の)命を望むな。そうではなく、おまえが持つ(有限の)ものをフルに使うのだ!」 シリア語(筆者の趣味)では「風」は「霊、命」と同じ単語なので、バレリーのイメージは何となく分かる気がするし、ピンダロスの言葉と堀の物語もすごくつながっている感じがするが、ピンダロスのギリシャ語は、アッティカともホメーロスともコイネーとも違う方言らしく、難しいというか読みにくい。簡単な言葉(ただの冠詞の方言バージョン?)が理解できない。調べて慣れる必要がある。
「生きめやも」という堀の言葉は「生きるもんか!」「生きようよ!」のどっちの意味なのか曖昧な感じがするが、元ネタの元ネタのピンダロス自体「無限になんて生き(られ)るものか」「だから精いっぱい生きるんだ」という二重性を持ってるんじゃね?
つまりアンパンマンの歌と同じロジック(=終わる命だから、生きる喜びがある)なんじゃね?
2019-07-26 フリースローの心理学、人生のキャンセル技
昔、USABのサイトに「フリースローの科学」という面白い記事(*)が載ってた。
コンセプトは常識的なんだけど(=意識し過ぎると失敗するから、心を空にして「自動操縦モード」で打ちましょう)、具体的練習法などが書かれていて、何より次のフレーズに心引かれた。
放つべきシュートなどない。得点は消え、時計は消え、チームメートは消えた。観客は消え、敵選手は消え、得るべき勝利も、恐れるべき敗北も消えた。過去はなく、未来はない。あるのはただ、自動操縦モード開始のトリガー。
まるで般若心経。実際、著者のベテランコーチは「マントラ」という言葉を使っている。
自転車に乗るのでも、食べ物を飲み込むのでも、ミリ秒単位の複雑な動作を、脳は全自動制御してくれる。「このタイミングでペダルを踏もう」「このタイミングで気道を閉じて食道を開こう」と意識して制御しようとすると、かえってめちゃくちゃになる。そういえば「千と千尋の神隠し」で、主人公が泣きながらおにぎりを頬張るシーンがあるけど、おえつしながら嚥下は無理じゃね(笑)。
まあ、それはともかく、繰り返すことで脳をプログラミングできるのは動かぬ事実(上記のバスケの記事によると、コンパイルされたプログラムは小脳に格納されるらしい)。それどころか、夜にどうも分からず悩みまくった事柄(例えば数学の問題)が、翌朝、目が覚める頃、寝ぼけた意識の中で「当たり前じゃん。これはこうで、ああなんだから」と完全解決してることがある。似た経験は誰にでもあるんじゃないかな。眠って起きたら、悩んだことがうそのようにスッキリして、心が決まっていた、的な…。これを解決したいと思ってると、寝てる間にまで、勝手にバックグラウンド処理が続いてるっぽい。
脳って、すげえ!
意識してもできないことを楽々と勝手にやってくれるんだから、これを活用しない手はない。逆に「私には無理・どうせ失敗する」とかネガティブなことを繰り返し考えると、それが脳にプログラミングされて、やばい。脳は素直に「このユーザーは失敗を希望してる」と解釈して、そういう配線を作ってしまうかも…。
だから不安な考え(あれがああなったらどうしよう)が浮かびかけたら「困ったな・だってそうなったらこうなって・こうなったらああなって」と苦悩シーンを最後まで演じず、すぐ別のコマンドを投入して「でも大丈夫」の逆転コンボに持ち込もう(笑)。「そうなったらなったで対処するし、ならなければならないし。問題は、どう対処するか」と脳のコンパイラーに繰り返し伝えると、脳も「このユーザーは対処したいんだな」と解釈して、バックグラウンドで最適な対策を模索してくれるかもしれない。
十分なデータがなければ、さすがの脳も、何もできない。どんなに心を無にしても、どんな宗教に入ってどんなにお祈りしても、練習してないフリースローは入らないし、練習してない曲をちゃんと弾けるわけない(簡単な曲なら初見で弾けるけど、それも練習の成果)。自動操縦モードが実装されるまで、何度も失敗しながら、何度も転びながら、繰り返しやるしかない。
「もしかすると、何とかなるかも・切り抜けられるかも」「いや、できる」「問題ない」「私はやる」とりあえず、試しにそう思ってみるだけならフリーだし。
「スラム・ダンク」のアニメで、スリーポイントシューターの子がバテちゃって、スポーツ飲料の缶を開ける力もないってシーンがあった。ものすごいリアリティーだった…。
「僕が熊と戦ってるのを見たら、熊を哀れんでやってください」
2019-08-01 防災・広報無線の謎 日本に寄留してる方が、こんなこと言ってた。「光化学スモッグとか熱中症に注意とか、細かいことをいちいちうるさく放送しているのに、何で『合併で市名が変わります』とか『今年から元号が変わります』とか、そういう基本的なこと広報しないんだろ。知らないうちに変わってるとびっくりするんで、事前に大きなポスターでも張って、告知してほしい」
一理あるかも?
2019-08-03 バナナを食べると蚊に刺される?! 「ニンニクを食べると蚊に刺されなくなる」という「吸血鬼ファンタジー」には、エビデンスがない(※)。一方「バナナを食べると、食べなかった場合に比べ、何倍も蚊にたかられる」ことを示唆する実験がある(Paskewitz et al., 2018)。バナナを食べる前・食後3時間の被験者の皮膚から得たサンプルを比較。ハマダラカは後者に引き寄せられる。被験者がブドウを食べた場合、このような差は生じなかった。
37℃のエアー(高濃度の二酸化炭素とバナナの匂いを含む)を発散する「ダミーのチャフ」を作って、周囲にばらまいておけば、蚊のレーダーは混乱、本来のターゲットである人間は、蚊から「見えにくく」なるかもしれない。熱・嗅覚迷彩!
(※) ニンニクを投与した群とプラセボを投与した群で、蚊に刺される割合に有意差が認められなかった(Rajan et al., 2005)。
2019-08-17 自販機って襲撃されないのかな? 漫画・アニメなどでは、缶ジュースやコーヒーなどの自販機があちこちに設置(描写)されている。人けのない峠道のような場所にもあって、深夜にもこうこうと稼動してる。日本に自動販売機が多いのは周知の事実。真夏の戸外に冷蔵庫を設置してるようなもんだから、すげえ電気の無駄って気がするが、それはさておき、自販機って、犯罪者に狙われないのだろうか…?
もちろん日本にだって犯罪はあるし、悪人はいる。ターゲットが死傷しても構わないぜ、という考えの「不良」も登場する。お店での万引きも多いらしい。にもかかわらず、孤立した場所にあって周囲に誰もいない自動販売機が狙われないとしたら、どういう文化的力動なんだろう。機械ごと盗むのも、その場で破壊して商品や中のお金を盗むのも、原理的には簡単そうだが…。「暴力・殺人・公共物への落書き・ガソリン泥棒はありでも、自販機を壊すのだけは反則」っていう集合無意識があるのかな? それとも意外とセキュリティーが厳重で、金庫みたいになってて破壊困難?
防犯装置っぽいもんが内蔵されてんのかもしれないが、そんなの電源コードを抜いてしまえば無効だよね。それも対策済みでリチウムUPSでも入ってんのかなぁ。
現実的に考えると、実は自販機荒らしって、ありふれた犯罪なのかもしれない。猫を捨てたり虐待したりする人もいるんだから、やっぱ自販機を壊す人くらい、いるよね、きっと。多少壊されてもトータルでは収益がある、って計算で設置・運営されてる、ってとこか。あるいはそういう被害をカバーする保険があって、保険料を価格に上乗せしてるのか。「温和な国民なので自販機を壊されない」(素朴な解釈)、「何かあっても損がないように保険に入ってる」(計算ずく)、少なくとも2通りの解釈が成り立ちそうだ。
2019-08-18 アイルランド人はアイルランド語を話さない!(びっくりトリビア) 同国・中央統計局による2016年の統計(EA052)。アイルランドの人口は476万だが、アイルランド語を実際に日常使う人は約2万人しかいない(学校でのアイルランド語の授業については「実際に使う」に含めない)。
一方、アイルランドには、日常、家ではポーランド語を話す人が14万人、フランス語を話す人が5万人もいる(E7060)。アイルランドの住民の3%はポーランド語話者で、アイルランド語話者よりはるかに多い。
アイルランドにポーランド人が多いのは「国外からの労働者を受け入れてくれる国が他にあまりなかったから」らしい(同じEU圏でも、いろいろ制限があるんでしょう)。確かに昔、疑問に思ったことがある…近所なのに、なぜフィンランドにはポーランド人が全然いないんだろ?って。まあフィンランドは「東西」の境目で、しかも民族がヨーロッパ系でもないので、いろいろ微妙っぽいけど。
アイルランドではフランス語の人気が高いってのも意外だよね。フランス系住民が多いわけではなく、生粋のアイルランド人も案外、フランス語を使うらしい。そういう話者は数万人で、日常アイルランド語を使う人より多い。やっぱ「おフランスはステータス」のかな。何かもっと深い文化的・歴史的背景があるのかな。
↑ダブリンにあるポーランド系のお店(CC-BY-SA by Fribbler)
2019-09-02 大好きな人からプレゼントをもらったら、とてもうれしい 「プレゼントの箱をすぐに開けてしまうのは、もったいない!」と感じる人もいるかもしれない。もしかすると、実際その理由から、すぐには開けない人もいるかもしれない。極端な話、一生、開けなくても幸せかも(腐る食べ物とかでなければ…)。理論的には「中身が空っぽでも(何ももらってなくても)幸せ」なのだから、不思議な現象だ。
逆に一番もったいないのは、贈り物をもらったのに、気づかなかった場合だろう(サプライズ・ギフトとして、引き出しの奥に隠してあったとか)。
「プチプチつぶしを楽しむ」のは無邪気だが、同じ行為でも、銃を突きつけられ強制的にやらされると、全然楽しくない。殺されないため生きるため、正義のため、世のため人のため、功徳を積むため、自己実現のため、地獄に落ちないため、こう見られるためああ見られるため…といった「別の目的」(とその人が思い描くこと)の手段として何かをすると、食材そのものを味わえなくなってしまう…。めったに食べられない珍味なんだけど、計算するとカルシウムが不足なので、今日の食事は失敗でした、みたいな(何じゃそりゃ)。
作業の成果を生きがいとする人は、心が揺れる。うまくいくとは限らないから。「別の何かの手段」と解釈するせいで、その「別の何か」が実現したかどうかという局所的な評価にとらわれてしまうのだろう。その点、飽きっぽい人は幸せだ。作業そのものに夢中になり、人事を尽くすが天命を待たず、そのうち飽きて忘れてしまう。
猫が飼い主をなめる本当の理由は、よく分かってないらしい。もしかすると人間の言葉に翻訳できるような理由なんて、ないのかも。人の行動もそうだけど、猫のロジックなんて、あるんだか、ないんだか…。まあ、実は合理的な理由(塩分を補給してるとか)があるのかもしれないが。
2019-09-19 生きる喜び 死ぬ喜び 生きる悲しみ 死ぬ悲しみ
何かが生まれ消滅するということは、リソースを確保・解放すること。有限個の分子から成る世界において、それはリサイクルの1回転であり、その何かから見れば「分け与える」こと。分けたくて分けるなら喜び。分けたくないのに分けるなら「奪われる」ということで、悲しみともいえる。長い目で見れば、どちらも同じようなものだが…
植物が「どうぞ」とばかりに果物を実らせるのは、不思議なことだ。進化論的には何か利己的な理由があるのだろうけど、何と優しい利己なのか…。
「計功多少」というのは良い心掛けで、おいしい野菜を育ててくれる人に感謝するのは当然だが、大きな枠組みで見ると、あらゆる物は何十億年もの歳月をかけて生まれてきた。具体的には、分子を作ってくれた恒星の功が大きい。大き過ぎて人間の尺度では計れないけれど、恒星も惑星も山も植物も動物も、同じ流れの小さな渦であり、同じ積み木をやりとりしている。
※ 画像は「アンの小箱」の素材。
2019-09-26 銀河軽便鉄道は にせものの金のメタルをぶらさげて 『春と修羅』の序文は格好いいが、肝心の詩は退屈なものが多い。「心をよぎったもの」をそのまま書き留めただけで(要するにチラシの裏のメモ)、もともと感動や完成度を狙ったものじゃないんだろう。誰かが「宇宙の海は俺の海。賢治の汽車も俺の汽車。俺の捨て切れぬ著作権」とごねまくっても、宮沢賢治からすれば「因果交流電燈から放たれた光は、みんなと一緒に明滅する現象であり、わたくしの持ち物ではありませんから、何が起きてもおかしくないのです」みたいな。
宮沢賢治がどう考えたのか・考えなかったのかはともかく、一般論として、作品・アイデアがお金や独占権でガチガチに縛られるなら、野性のミームにとっては生きにくい。それでも野性は野性なので、作者と関係なく(作者を乗っ取って)生まれたり死んだりする。
フリースローを打つとき、もちろん動作は精密にコントロールされていないといけないのだけど「精密にコントロールしなければいかん」と意識すると、逆に失敗する。ピアノを弾くとき、音を外したらいかんのは当然だけど「音を外したらいかん。次の音はこれだから、この指だ!」なんていちいち考えてたら、できっこない。その放たれたフリースローの軌跡。放たれた音の集合。音楽がわたしを弾いている。
2019-09-28 友達の大切さとデメリット
ゲームやアニメについて、次のようなことを考えてみる。
旧世代のメリット=「ステレオでないから嫌だ、きれいなCG絵でないから嫌だ」といったことを言わず、良作なら何でも普通に楽しめる。デメリット=見る予定のもの・見返したいものがたまり過ぎて、新作に集中できない。長いシリーズだと、追いつけない。メリットとデメリットの和=子どもが多かった時代には古典的名作が多いので、トータルではトクをしている半面、無駄にしたトータル時間も長い…。
時間は有限かつ1日24時間に固定されてるので「何に使うか」が重要。裏を返せば「何に使わないか」が最重要。漫画やアニメで言えば、どれだけ多くを読むか・見るかではなく、どれだけ多くを見ないで済ますか。その判断の基準として、自分と似た感性の友達(との情報交換)が、最も貴重な資産ではないだろうか。経験上、出会うべき作品には必ずどこかで「偶然」出会えるけど、この「奇跡」の裏には、無駄に見てしまった膨大な量が…。「奇跡」は記憶にとどまり「奇跡でないこと」はすぐ忘れるので、客観的な事実以上に「自分には奇跡が起きる」と主観的に感じている…(ある意味、自信過剰)。最大の問題点は「逃している奇跡に気付いていない可能性がある」。知らない対象については、それを知らないということ自体を認識できない!
そのまた一方において、友達から薦められた作品は「友情のために」少し色を付けて評価してしまう、という問題がある。やっぱり「自力で出会えた作品」が一番うれしい。結局は「運」なのか?
山だって「このポイントからの○○方向の眺めは最高!」というレビューを読んで、そのポイントに行って○○方向を眺めるのと、何も知らないで「たまたま」そこに行ったときの感動は、質が違う。
2019-10-21 あなたが笑うと…
昔、吉行理恵の詩集で「あなたが笑い始めると野薔薇の香がしてきます」というのを読んで、単純にきれいだなぁと思ってた。
「あなたが笑うと お空の雲がお城になったわ」という別の歌(「アンデルセン物語」のエンディング)を知り、もっといいな…と思うようになった。誰かと遊んでいて、とても楽しくて、全てが輝いて見えたんだね。
その歌はさらに「いつか知らないうちに あなたを忘れたの」と続く。夢のように楽しかった遊びの友達なのに、いつか知らないうちに忘れている。何という真理でしょう…。子どもにとって《遊び》は紡がれる世界で、紡ぎ手同士の交際ではないんだよね…
ここでいつも連想するのが「ふしぎをのせたアリエル号」(Amy’s Eyes)。
「あなたが いちども いったことのないところで…あなたと あったことがある」
この本は、装丁が素敵だった。当時ファンタジー的なものはわりとマイナーで、トールキンが大ブレイクするなんて誰も予想していなかっただろう。極端に言えば、当時の普通の人は「エルフ」という言葉も知らなかったかもしれない。何しろ中山星香の読者(どう考えても普通よりファンタジー寄り)が「指輪物語って何ですか?」とのんきな質問をして、中山星香は(さすがにカルチャーショックを受けつつも)真面目に説明していた。ファンタジーの世界が日常的になったのは、やっぱビデオゲーム的なものの影響だろう。ロジカルで冷たいイメージのある「コンピューター」の発達がファンタジーの追い風になった…ってのは、なんか面白い。
でも全部CGで見せられてしまうと、しらけてしまう。赤毛のアン風に言えば「想像の余地がない」。「リンゴ畑の~」や「妖精王の月」みたいなのが好きだった。「昔、おとめたちよ…」まあこれは好みの問題でしょう。
2019-11-14 リアルワールドの恐ろしさ
一方通行的な関数、強力な暗号化などの場合、数学的な正攻法では「1億円のスパコンを1万台並列化しても解けない」ことは少しも珍しくない。けれど、それだけの予算があれば、恐らく大抵の個人(人類の90%以上)は買収に応じてくれるでしょう。「1億円あげるから、答えをこっそり教えてください。表向きは全数検索でラッキーヒットしたことにしますから…」と本人に裏取引を持ちかければ…
これだけでも怖い話だが、現実はもっと恐ろしい。秘密警察・暴力組織の類いが本人を取り囲み「答えを教えろ。さもないと…」と迫れば、0円で暗号が解けてしまう。それどころか「ついでに金も出せ」「面倒だからおまえの命ももらう。事故に見せかけてな…」というオチ。
理論上、アリスとボブの公開鍵の交換を盗聴したハッカー「チャーリー」は計算量的な壁に阻まれ手も足も出ない…。ところが現実世界の「チャーリー」は、純粋な数学パズル愛好家ではない。バールのような物を持ってアリスの家に押し掛け、力ずくでドアをこじ開け、秘密鍵を強奪できる。この攻撃を防ぐには、アリスもボブもネット上で個人情報を公開せず、場所が分からないように、オニオンのようなものを経由して通信する必要がある。個人情報は「悪用される・されない」という以前に、それ自体が脆弱性なので…
「パスワードはどこにもメモしてはいけない」とか「生体認証なら安全」とかいうのも、全然当てにならない。本気の攻撃者は「本人から聞き出す」「物理的に強制して無理やり認証させる」ことができるので…。やはり「本人が誰だけ分からない」という状態を維持するのが重要なのだが、そうはいっても現実的に、居場所が不明では物理的な買い物ができず、人間は物理的なリソース(例えば食料)がないと生存できない。悩ましいことである(笑)
「この通信は暗号化されていてセキュアです」というような話が、いかに薄っぺらか。安全なのは「物理的な居場所が不明で匿名化されている存在」だけ。大企業であれ国家であれ、中心的な存在が発生して情報を把握すればするほど、あらゆることは「いざというとき無防備」になってしまう。
ところで、問題のRDR2ですが…。世界的にはまだまだi5やi3のユーザーが多いようで、その環境ではまともにプレイできないらしい。最初は「おいおい何だこれは」「何かの初歩的なミスでしょう・すぐパッチが出るでしょう」という半分笑いのムードだったのが、数日後には「このゲーム、プレイできないから返金してほしい」という重いムードに…。「クソゲーと神ゲーは紙一重」的な珍奇な状況(本質的なクオリティーは神かもしれないが、プレイできなければ評価のしようもない)。あのキーボードクラッシャーのキャラが、やったら笑えるだろうな。「レッド・デッドやりてえんだよ!」「予期せず終了か」「予期せず終了ってむかつくよな」「2時間たったってことは、返金が利かないって、ことなんだよーーー!」(バンバン)「全然プレイできないのに@#$%60ドル@#$%それじゃ駄目ーーーー」BESは、そんなゲームを高確率で一応プレイ可能にしてしまう「魔法のツール」だが、それは偶然そういう活用法が見つかったというだけで、もともとは単に「熱暴走を防ぐ小物ツール」だった。類似のツールは他にもあるのに、BESを積極的に選択するユーザーが結構多い理由は謎。「BES: バトルエンコーダー・シラセ」というふざけた名前が受けているのかも…。とにかく、多数のRDR2プレイヤーが、ゲームを楽しみたい一心で洪水のように殺到したので、転送量節約のため、BESのページを「説明画像なしのテキストだけ」に変更。ゲーマーの情熱は、侮れない。PC版リリース初日にこのゲームをしたくて、わざわざ仕事を休んだ人までいるらしい。
2019-11-08 誰にも解けない問題 「誰にも解けない問題を作るのと、その問題を解くのは、どちらが難しいか」というネタ。
1) デジカメで適当に写真を撮る → その画像のハッシュを調べる → 「このハッシュを持つファイルを作れ」。簡単に出題でき、事実上、誰にも解けない。出題者自身は一つの答えを持っている。この形の問題を解く最も効率的な方法は、出題者に銃を突きつけ(あるいは出題者を買収して)、直接答えを聞き出すことでしょう。
2) 「解がない問題」を「誰にも解けない問題」と呼ぶなら、そのような問題はいくらでも作れる。「20より大きい7の約数を求めなさい」「平方すると−5になる整数を見つけなさい」考えても面白くない。
3) でたらめな巨大整数(1000桁くらい)を書いて「この数を素因数分解せよ」。問題を作るのは簡単だが、今のところ一般には誰にも解けない。出題者自身にも解けないし、暴力でも金の力でも解けない…。
4) コップに適当に水を入れる → 「この中にある水の分子の正確な数を答えなさい」。これは良くない。数えている間にも蒸発して数値が変動してしまうでしょう…。
5) 円周率の10進展開について「最初にゼロが連続x個現れるのは小数点以下何桁目か」 → 簡単に出題できる。x が巨大だと、事実上、誰にも解けない。
結論として、出題者にも答えが分からないような「無責任な問題」なら、誰にも解けない問題を作るのは易しい。「きちんとした難問」(出題者は答えを知っている)については、一方通行的な関数を使えば容易に生成できるが、「出題者を拷問あるいは買収する」という「解法」があるので、厳密な意味で「誰にも解けない」とは言い切れない。
2019-11-27 手塚治虫@エスペラント語
ふと思い立って、ウィキペディアで「手塚治虫」を見てみた。オリジナルの名前(ミラーリングなし)を使っている例は、次の通り。
エスペラント語版 Tezuka Osamu
ラテン語版 Tezuka Osamu
ハンガリー語版 Tezuka Oszamu
中国語版 手塚治虫
韓国語版 데즈카 오사무
エスペラントは(一応)理想主義的なので、多文化を尊重するのは、それほど不思議ではない。ラテン語がこれなのは、ちょっと意外だった。ハンガリー語以下は、ひっくり返さないのがそれぞれのデフォなので、これで普通なのだろう。日本語版でも「ベラ・バルトーク」ではなく「バルトーク・ベーラ」になっている(意外と進歩的)。英語版も早く多文化尊重に変わってほしい…。漫画・アニメのキャラでは、まだ両方あるものの、商用でもミラーリングしないこと(日本語オリジナルの順序)は珍しくなくなっている。ちなみにプロの碁の世界では、アジアの名前をミラーリングしないのが昔からの公式らしい。リアルでは本人がひっくり返したいなら、別にひっくり返せばいいと思うけど、自分の好みとしては、キャラ名はひっくり返さず、sensei senpai -san -kun -chan なども全部残してほしい(フランスの小説の翻訳で「マドモアゼル」とかをそのまま使うのと同じ理由)。そうでないと「-san があるなしの距離感」とか「いつの間にか -san から -chan に変わる場合」の微妙さとか「-chan を付けないで呼び捨てにして♪」的な場面のニュアンスが失われてしまうから(笑)。
2019-11-24 イタリアのラーメンはスパゲッティーっぽい?
ラーメンのことは詳しくないのですが、極太麺ですよね(伸びちゃったわけではない)。そしてイタリア人好みに、アル・ダンテ(歯応えしっかり)らしい(笑)。写真を撮った友人いわく「この店の特徴なのか、イタリア全体でこんな感じなのかは不明」。
お箸を使えない人のために、フォークも付いてきます(ますますスパゲッティーっぽい)。ラーメンマニアの人は、いろんな国のラーメンを食べると、エキゾチックな体験ができるかも?!
2019-11-22 「運」って何なんだろ?
2050年にもコンビニがあって、ますますゲームが高品質になっていたらうれしい?
2050年にも Windows があると思う?(笑) ← さすがに誰でも本能的直感が…
どこかで変わらないと全体が存続できないようなことなら、むしろ早めに壊れてくれた方が幸運では…
2019-12-08 イタリアンなおすし(大豆風味のサルサ添え)
コン・サルサ・アッラ・ソヤ ← これだけ聞くと、高級っぽそう(笑)
「大豆風味のサルサをトッピングなさいますと、おいしくいただけましてよ。おほほ」
訳「しょうゆでもかけて食うか」
2020-02-14 速報 SSH地獄 ssh-rsa 破れたり
OpenSSH 8.2 がリリースされた。
https://www.openssh.com/txt/release-8.2
It is now possible[1] to perform chosen-prefix attacks against the
SHA-1 algorithm for less than USD$50K. For this reason, we will be
disabling the "ssh-rsa" public key signature algorithm by default in a
near-future release.
一瞬「ついに RSA が破れたのか」とびっくりしたが、そうではなく、問題は SHA-1 の部分。
[1] "SHA-1 is a Shambles: First Chosen-Prefix Collision on SHA-1 and Application to the PGP Web of Trust" Leurent, G and Peyrin, T (2020) https://eprint.iacr.org/2020/014.pdf
(参考) Windows 上のSFTPクライアントの現在の挙動を確認してみた。サーバー側のホストキーとして ssh-rsa と ed25519 の両方が用意されている場合、WinSCP は、既に ssh-rsa を無視する(ssh-rsa のサポートが中止されても、影響ないと思われる)。現在の FileZilla については、SFTP の機能自体はほとんど同じで、一応、問題なさそう。けれど、デフォルトのインストーラーにはアドウェア的なものが同梱されているらしい(手動でチェックを外せば、インストールされないと説明されている)。
2020-02-29 「恩は返すな」
ある人が言った。「親切にされたら、親切に仕返すのではなく、無関係な第三者に親切にしましょう。報いはすぐあるとは限らないし、世の中は予定調和的とは限りません。努力は必ずしも報われないし、善いと思ってやったことは往々にして逆効果になります。でも、別にいいでしょ。ほんのちょっとの“善”を心掛ければ、世界の幸福の総和は平均的には増加するでしょう。そして結果を期待せず(自己満足さえ求めずに)義務を果たすことは、最も純粋な幸福です」
2020-03-11 エチオピア文字の dē と ǧē の書き順
ǧē の文字(右)は、おおざっぱに言って dē(左)の上にT字型のマークを付け足したもの。これ自体はよくあるパターンなのだが…
学習者用に書き順を付記してくれる Geez Handwriting with Arrows
フォントでは、右下の小円の部分を書く方向が異なる。ǧē では「道なり」に時計回りに進むが、dē では小円に入るとき右折して反時計回りに進む(次の画像の2番の矢印の向きに注目)。
実用上、書き順なんて好き好きでいいんだろうけど、教材的フォントでこの不統一には何か意味があるのだろうか…?
2020-03-13 「ビタミンB12が最も足りているのは完全菜食主義者」という変な研究 B12は主に動物性の食品に含まれるビタミンなので、菜食の場合、注意が必要な栄養素。実際に測定してみると、逆に肉食の人はB12が不足気味で、完全菜食主義者は体内のB12が多いという結果(素朴な常識とは正反対)が出た。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6024521/ (テーブル2参照)
「完全菜食主義者の中にはB12の問題を気にしている人が多いので、強化食品やサプリメントによってB12を意識的に補給している。一般の人はB12のことをあまり気にしないので、摂取がおろそかになる」ということらしい。
「統計の難しさ(バイアス)の例」とも解釈できる。一見「菜食とそうでない食事」を比較しているようだが、実質的には「自分が食べる物について深く考える人とそうでない人」が比較されているのでは。「菜食自体が(例えば海苔などが)B12のソースとして優れている」という結論にはならないだろう…
菜食は体にいいか…というと…毎日ビールを3本飲んでポテチを3袋食べても、完全菜食には違いない。単純に菜食だからいいとか悪いという言い方はできないでしょう。
イタリアでは月曜日から「最低2週間」予定の全国ロックダウン中。生活必需品(食料など)以外の店は全部閉まっている。外出するにはいちいち「証明書」を自己発行しなければならない。「深刻」というより「シュール」で、非現実な感じがする。
2020-03-26 「きぼう」と「こうのとり」
国際宇宙ステーションの日本のモジュールには Kibō という名前が付いている。ところが、そこに物資を補給する宇宙船には Kounotori という愛称が付いている。
同じ組織が運用しているのに、同じ音素の表記が不統一で、もどかしい(ō vs. ou)。規則で説明できず、ひとつずつ個別に丸暗記するしかない。記憶力に余計な負担がかかる。「つき」(月)→「みかづき」(三日月)なのに「つま」(妻)→「いなずま」(稲妻)、「ち」(血)→「はなぢ」(鼻血)なのに「ち」(地)→「じめん」(地面)みたいな…。あなたは「十になった徹さん」と、ひらがなで書けますか。「蒲郡西郡の大通りに王道なし」とか。自分はこういうのが苦手で「妹」のような基本単語ですら、あやしい。IMEで変換できる・できないで判断できるが、自分でちゃんと判断できない。
それは氷山の一角で、日本語の文字システムの難しさは全体として世界最凶なのである。
話すだけなら、日本語はそこまで難しくない。独特の「空気感」はあるが…。「お飲み物もお付けしますか?」「結構です」 ← きつく言うとノー、「お飲み物はMサイズでよろしいでしょうか?」「結構です」 ← 優しく言うとイエス。イエスとノーが同じ言葉なのにコミュニケーションが成り立つ、なんて日本語だけじゃね? ← yeah, riiight 話すのはともかく、書くのがむずい。IME のおかげで漢字が書けるように見えるけど、実はローマ字入力して後はプログラム任せという…
マクロン付きの文字はタイプするのがめんどい、という意見もあるだろうが、入力しにくいのは ASCII 互換の古い文字セットの名残。Unicode の時代なんだから、使えるもんは使う方向で…。対応しているキーボードドライバーを入れれば、マクロンは簡単に入力できる(手元の環境では [右Alt]+[O] = ō などとなっている)。「憂鬱」 yuuutsu ← 読みにく過ぎる。yūutsu ← 読みやすい♪
それにしても「憂鬱」の「鬱」って何だよこの字、複雑過ぎだろ!
4月1日、くだらんことを書くのがお約束。てなわけで・・・
2020-04-01 「右腕になって働く」は差別用語 世界左利き連合が抗議
「右腕という言葉が“最重要”という意味を持つのは、右利き優位社会を背景としたもので、世界人口の約10%を占める左利き人間にとっては不快用語である」との抗議声明が出された。
「自動改札が右利き用ばかりなのは、ずるい。10%は左利きレーンにするべきだ」
「右利きの人は『そのくらい差別でも何でもない。単に切符を右手で持てばいいだけ。今まで何も問題なかったのだから、何も問題ないでしょう』などと言うのですが、それがまさに差別だということに気付いてほしい。差別の存在が認識されず無視されるのは、普通に差別される以上に深刻な問題」
「いしほてめ認を由自の向方字書、でのいくにき書が字文、とあ」
…など、さまざまな要求が挙げられている。
2020-04-01 物理学教授、ボンカレーを作り間違えてクビ
千葉電波大学の網野エリンギ教授(理論物理学)が、ボンカレーの作り方を間違えて懲戒免職になっていたことが一日、明らかになった。
網野氏は鍋で水を沸騰させて熱湯の状態にして、そこにボンカレーを入れて、3分間加熱を続けたという。同大学では問題を重く見て、対応を協議。「こともあろうに物理学の教授が、そんなばかなことをするとは信じられない。だが熱力学の基礎も理解できていない人を教授に就任されたわれわれの責任も重い」として、最初は警告にとどめた。ところが網野氏が「ボンカレーの箱に書いてあった作り方通りにやっただけ。それのどこがいけないのか」と抗議。学内会議で「これはもう、どうしようもない。本学の名誉に関わる」との結論に至り、懲戒免職が言い渡された。
網野氏は「いまだに何が悪かったのか分からない」と話しているという。
2020-04-01 「3次元ボンカレー予想」否定的に解決?
数学上の長年の懸案だった「3次元ボンカレー予想」が、ついに否定的に解決されたらしい。
「3次元ボンカレー予想」とは「3次元ボンカレー予想は解決できない」という予想。予想が正しければ「3次元ボンカレー予想」は解決不可能なので、数学的証明は不可能であり、そのことから数学における難問中の難問とされる。
千葉電波大学の宍戸教授(計算機数学)は「予想は予想。別に信じる必要はない」との考えから「3次元ボンカレー予想は解決できる。つまり、3次元ボンカレー予想は偽である」との結論を導いた。しかし数学者の間では「それは偽だとしても矛盾は生じないというだけで、偽であることの証明とは異なる。3次元ボンカレー予想が解決したとは言えない」との懐疑論も根強く、今後の行方が注目される。
2020-04-02 うそのようなホントの話
エスペラント語で「アメリカ合衆国」は Usono と呼ばれる。ちょっと変だが、まあ USA と同じようなもんだろう。
オランダには Usono というメーカーがある(医療用超音波検査の関連)。恐らく、語源は ultra の u と sono だろうが、「ウソノ ProbeFix」のよう製品名は、日本語の感覚として、いんちきくさいイメージがある。
海モモとマリーベルは、どちらも「45話」のゲストキャラが「クリス」という名前(人物や声優は全然違う)。
2020-04-03 エチオピア文字の筆順「意図的でない」 フォント作者
Geez Handwriting
フォントの ዴ と ጄ の右下の丸が逆回りになっているのは、意図的でなく、作者自身もどっちが正しいか分からないとのこと。メールで質問してみたら、作者は実はアムハラ語・ティグリニャ語などに詳しいわけではなく、書き順は半ば適当らしい。識字率が高まれば…という願いがあって「書き順なんて細かいことにこだわらず、とりあえず文字に親しみましょう」みたいな意図だったようだ。ቶ の左の横棒と円の部分が一筆書きになっているのも「筆記体はこうなのか」と感心していたが、これも案外適当だったのかも…。そんな事情とは知らず、これをお手本に、真面目に練習してしまった。
特にアムハラ語に興味があるわけではないんだけど、世界中のいろんな文字を眺めてると楽しいよね(学問とかそういうんじゃなく、一種の趣味)。特にセム系の言語全般が何となく好きで、アラビア語・ヘブライ語・シリア語など、全部それなりに夢中になったことがある。そのうちシリア語(アラム語)だけは5年くらい熱中して、簡単なものなら結構読めるようになったが、ヘブライ語は難しく、アラビア語はさらに難しく、何度か挑戦したが、なかなか…。文字自体は30種類くらいで簡単に覚えられるけど…。まあそんなこんなでサマリア語やゲエズ語、アムハラ語までかじったこともあるが、しょせん趣味。アディスアベバ አዲስ አበባ が「ኣዲስ ኣበባ」のように聞こえる理由が分からず悩みまくったり、初心者丸出しだった。
ネイティブ話者が実際に書いた「リアルの文字」のサンプル(発音の録音付き)は、Amharic で見ることができる。
これら全部を合計したものより、日本語はさらに難しい。シリア文字、ヘブライ文字など(日本語以外)を全部忘れて一から覚え直すのと、日本語の文字を全部忘れて一から覚え直すのと、どちらかを選ばなければならないなら、迷わず前者を選ぶ。
2020-04-14 名前空間の汚染
コンピューター関係でよくある問題。それは「アドバンスト」「新型」「次世代」などの言葉を安易に仕様の固有名詞として使い、数年後、それが旧式になったとき、直観が乱れること。10年後、そのまた改良型の呼び名に困ること。
幸か不幸か更新頻度が低い場合、“新幹線”のように定着する可能性もある。けれど“新幹線の老朽化”や“旧型新幹線”といった表現について、言葉の神様(?)はお怒りかもしれない…。
名前は貴重な資源。限りある名前空間を大切に、識別子名は慎重に…
2020-04-15 かわいい言い訳
ひらがなで「かわいいいいわけ」と書くと、面白い。
「もももすももももものうち」はただの言葉遊びだが、同じひらがなが5連続で現れる。「いいいいわけ」(良い言い訳)は普通に使われる表現。そして…
「かわいいいいいいわけ」(かわいい良い言い訳)では、同じひらがなが6連続で現れる!
2020-04-16 数奇な運命 清の宮廷画家となったイタリア人
3DCG のレンダリングと言っても通用する緻密さ(陰影は控えめ)。ミスっても描き直しできないシルクの上に手描きらしい。昔の画家すげぇ~
イタリア生まれの画家カスティリオーネは、長い船旅をして中国に渡り、清の宮廷画家となった。
これは十骏犬图の1枚(部分)。皇帝さまは愛犬家だったようだ。背景はナンテンの花と実らしい。
言霊のさきわう国・日本では、ナンテン(南天)は「難、転ジテ福」に通じることから、縁起のよい植物とされる。
西洋の画家だから当然かもしれないが、普通の西洋画と同様に、遠近法を使っている。のっぺりした中国の伝統的な絵とは異なる。けれど、光源の位置が不明確で、物に影がない。世界全体が無限遠からほんわり照らされているような風情。これは西洋の「科学的」な絵とは異なる感じがする。ある意味、2次元のアニメ絵に近い。
キリスト教(西アジアで生まれヨーロッパ中心で進化した宗教)の使節がアジアに渡り、ゆくりなくもヨーロッパ風東洋画を描いたのだった。
2020-04-21 母子ともに健康
術者「帝切分娩した。おまえはもう生まれている!」
赤ちゃん「おぎやっ!!」
2020-05-17 太陽のバースディ 太陽の親・きょうだいは、いずこへ?
太陽系、つまり太陽や地球が約46億年前に生まれたということは「知識」としては、多くの方がご存じでしょう。「知識」といっても誰もその現場を見たわけではないので、正確には「仮説」ですが…
太陽系の「原料」が、宇宙空間に漂う希薄なガスであることは、ほぼ確実と思われますし、それが集まって回転する原始星・原始惑星円盤となり…というストーリーはよく言われる通りなのですが、問題は「それが集まって」の部分。
星雲が何万年もかけて万有引力でだんだん凝縮して…? 宇宙空間=ほぼ真空。1立方センチに分子が何個とかいうレベルの、すかすか状態。何万年待っても、そんなものが自発的に凝縮するとは思えない。恐らく強い外力が働いたのでしょう。
もしかすると、たまたま2カ所で超新星爆発があって、衝撃波が広がり、2カ所の中間ではその勢いでガスが「爆縮」されたのかもしれません。あるいは、原始星を生み出す「星の子宮」のような構造体が存在して、太陽系はその中で生まれたのかもしれません。このような構造体(EGG)が宇宙にいっぱいあることは既に観測的に確かめられているのですが、プロト太陽がそこで生まれたのか、あるいは別の経路で生まれたのか…ということは、憶測の域を出ないようです。宇宙はまだまだ謎だらけ。
何らかの衝撃で星間ガスに濃淡が生じたのだとすると、それは「だま」のような状態でしょう。一様に散らばっている落ち葉が風に吹かれた場合、風の吹き方によって落ち葉の「吹きだまり」ができるでしょうが、それは一般には2カ所以上できるはず。太陽の出発点となる「吹きだまり」が生まれたとき、近くには「同じ星雲の別の吹きだまり」があって、つまりプロト太陽には「きょうだい」がいたのではないでしょうか…。その子たちはどうなってしまったのでしょう。仮に超新星爆発の衝撃波が太陽系の最初の一歩だったとして、わたしたちを生んでくれたその超新星(46億年前に爆発?)はどこにあったのでしょうか。爆発で完全に吹き飛んでしまったのでしょうか。天使の風…。あるいは太陽が「星の子宮」で生まれたとして、その「太陽の母親」は今はどこにあって、どうなっているのでしょうか?
ナレーション「太陽系力学時マイナス45億6789万123年、4月5日、6時7分8秒999…」
○ 薄闇の中で丸いものが光る。
ナレーション「その原始星で、最初の核融合が起きた」
○ 放たれた光の矢を追うようにズームアウト。太陽系を俯瞰。一瞬地球が映り、小惑星帯を通過し、輪のある星が光を受けてきらめく。
字幕「50億年後…」
○ 大きな丸いもの。カメラ引く。それは瞳。あなたの目。この文章を読んでいる人間の目。少し混乱した様子で、かすかにうなずく(←うなずく演技、どうぞ)。
字幕「さらに50億年後…」
○ 赤みを帯びた小さな丸いもの。ズームイン。赤色巨星である。画面端で小さな地球が巨星に飲み込まれているのがチラッと見える。音も無く、まるでついでのように…
ナレーション「星の誕生と終焉。単調な宇宙の日常が続いていくかに見えた」
ナレーション「だが、そのとき…」
○ うなずくあなた。今度は決然と。
あなた「これは貴重な、ただ一度の現実なんだ…。こんな訳の分からない文章を読んでいる場合ではないぞ!」
○ 人間界を映し出す水晶玉のようなもの→クロスフェイドして天空の太陽。
ナレーション「…にんにくの芽が旬だった」
2020-05-20 日本は意外に「エコな国」? 一人当たりghaでは北欧やスイスより優秀
日本というと、ハイテクっぽいイメージがあります。至る所に自動販売機があり、24時間営業のコンビニがあり、鉄道は30秒のような精度でアクロバティックな高密度運転…。直観的には「もし誰もが日本人みたいな生活をしたら、地球が幾つあっても足りないよな」と思われるのですが…
List of countries by ecological footprint(ウィキペディア)
(参考)How many Earths do we need?(BBCニュース)
数値的に見ると、日本における一人当たりのエコロジカル・フットプリントは、それほど高くはないようです(順位が高いほど悪い)。もちろん世界平均よりは高いですが、2倍は行ってない。あくまで一つの目安にすぎず、地球生態系はまだ十分に解明されていない上、「一人当たり」という考え方には疑問もあるのですが、日本はカーボン的には意外と質素な国なのかもしれません。ハイテクだけど低公害・省エネ技術も進歩しているし、伝統的にお米・野菜・海産物をよく食べるし(食肉生産はフットプリントが大きい)、先進国とはいえ森林の割合が高いしね…
2012年の一つの試算によると、gha(グローバル・ヘクタール)を単位として、地球のリソースは人口一人当たり1.63しかないのに、実際には地球住民は一人平均2.75の負荷をかけているそうです。当然「赤字」(使い過ぎ)なので持続は不可能(負荷を下げないと、遅かれ早かれ破綻する)。
日本のフットプリント(負荷)は、一人当たり5.02。使い過ぎだが、大赤字というほどではない。あくまで一人当たりなので…日本の人口は結構多いので、地球全体への「負の貢献度」は決して小さくありませんが、概念上、一人5ヘクタールで自給可能というのは、先進国としては優秀でしょう。英国・北米・オーストラリアでは、この数値が約8~9であり、それに比べると日本は40%くらい節約している良い子(あくまで比較で言えばの話で、赤字には変わりないので持続はできませんよ)。オーストラリアは面積が大きいので、一人当たりの無駄遣いが大きいものの、概念上、国内で自給可能。カナダも人口密度の観点から、同様の結果に。国が広いのも良しあしで、人口密度が低いと「このくらい大丈夫でしょ」と大ざっぱにやってしまうのかも。その点、空間が限られている日本は、コンパクト化が得意。
データ上、産油国は値が大きいですが、石油の生産によって他の国の経済活動が成り立っていることを考えると、国別のデータというのは、ある意味、不公平。重要なのは、惑星全体での収支なので。とはいえ、あの辺は超高層ビルが立ち並び、外気40度のところをギンギンに冷房しているので、環境負荷が高いのでしょう。スウェーデンが15位、エストニアが16位、フィンランドが22位…いかにもエコそうな「森と湖の国」だけど、冬に暖房をガンガン使うしねぇ…。ドイツが37位、フランスが40位、日本が42位(2012年のデータなので、原子力→火力発電の比率変更で、現在では、多少悪化しているかも)。世界中の部品を製造して二酸化炭素を出しまくっているイメージのある中国ですが、人口一人当たりだと、かなり優秀(71位)。国の炭素経済は大赤字でも、人口が多いので…。それでも、まだ赤字。人類はぜいたくになり過ぎてしまった。
では「黒字」の国はどこか。インドネシア(135位)、スリランカ(148位)、インド(164位)、エチオピア(172位)など。これらの国々の、おおらかなライフスタイルには、少なからず学ぶべき点があるかもしれません。インドネシアなんて幸せそうだし、スリランカは文字がくるくるしてかわいいし、エチオピアは超うまいコーヒーが飲めるし…。破滅に向かって全力疾走しなくても、のんびり楽しく暮らせる方法はあるのではないでしょうか。
過大な負荷が続けば、食べ物が不足するので不可避的に人口が減り、究極的には人類は生態系から排除されてしまう。既に今も10秒に一人くらいのオーダーで、世界のどこかで子どもたちが死に続けているという。栄養不足が原因で…。地球人口が半減すると、一人当たりのghaリソースは自動的に2倍に増え、今の消費量で持続可能に。恐ろしい話ですが、人類が今のライフスタイルを続けたいなら、人がどんどん死ぬのは、生態系のバランスの点では良いこと。ただし、死んでしまう側から見ると「今のライフスタイルを続ける」という目的は達成されませんし、生き残る側にとっても、少なからずトラウマになるでしょう。そうまでして…二人に一人を殺してまで生き残りたい…という考えの人が生き残っても、楽しい世界にはなりそうにないし、肥満で困っているくらいなら、飢えている人に半分分けてあげれば、どちらにとってもメリットがあるのに、大人の世界っていうのは複雑で、そういう単純な考えは成立しないようです。
中生代末の衝突イベントは、広島型原爆100億個オーダーのインパクトだったが、生命の可塑性は余裕でそれを生き抜いた(恐竜は、巻き添えで滅んでしまったが…)。そこから類推すると、仮に人類が環境破壊を続け自滅しても、過半数の種は存続し、むしろその方が地球の種の多様性が回復するでしょう。その意味ではヒトはあってもなくてもどうでもいい存在(むしろ厄介者)。半面、月や火星を開拓できるのは、今のところ人類だけ。地球外に広がっていけるのなら、地球に人類が誕生したことには重大な意味があったことになるでしょう。長期的に考えて、火星をテラフォームできるなら、地球に万一のことがあっても地球起源生命は存続できる…。環境への負荷を抑えつつ、増大するエネルギー需要を満たすこと…その一つの切り札となり得るのは核融合。技術的なハードルは高いけれど「石油がなくてもリソースは大丈夫!」となれば、気持ちに余裕が生まれ、世の中平和になるかもしれません。
2020-05-26 ゴキブリと猫
画像=ブッシュ・コクローチ(Ellipsidion humerale): オーストラリア原産の美しい昆虫(チャバネゴキブリ科)。ブリズベンでは、どこにでもいるような虫らしい。無害なので、別に嫌われてない。Credit: Bjenks (Brian Jenkins): CC-BY-SA-4.0
ゴキブリと猫には、共通点が多い。
人間にとって、ゴキブリはアレルギーやぜんそくの原因になるが、猫もアレルギーや引っかき傷の原因になる。ゴキブリは病原菌を運ぶかもしれないが、猫もノミを運ぶかもしれない。猫は寝てばかりいる。ゴキブリも1日の大半をじっとして過ごすという。猫は強靱で高所から落ちても平気。ゴキブリも強靱で水に溺れても平気。猫は敏しょうで勘がいいが、ゴキブリも素早く勘がいい。ゴキブリはやたらと増えるが、野良猫もやたらと増える…
このように、抽象的な意味では両者はよく似ているが、ゴキブリは一般人から嫌われ、一方、猫は溺愛されている。不思議なことだ。猫は人間の脳をハッキングして「ノミを運ぶし、アレルギーの原因になるし、家具を引っかくし、やたらと放尿するが、それでもかわいい!」と思わせることで、種の存続を図っているのかもしれない。
逆に人家に住むゴキブリは、あえて住人の敵意をあおり、のろまな仲間を殺させることで、エリートだけが生き残る仕組みを自らに課し、個体数の爆発的増加による自滅を防いでいるのかもしれない。
ゴキブリ目には数千種の昆虫がいる。無害な種も多い。大抵の人は、その数種類しか知らない…。例えるなら「ある町(あなたの住まい)は治安が悪い」という知識だけで「地球人は全員悪」と決め付けるようなもの。相手は、古生代から数億年も存続している賢い生き物。それに比べると、ひよっこの人間(あと100年続くかも疑問)は、いまいちアホな面もあるようだ。ゴキブリはともかく、クモのような無害な生き物を恐れ、害虫扱いする人も少なくない。脳の回路にバグでもあるのか、後天的学習に不具合があるのか…まあ確かに危険な虫もいるのですから、安全寄りに倒して「虫はデフォルトで全部やばい!」と判定するのは、生存の知恵なのかもしれません。(結果的に、大部分の虫は「誤判定」により不当に嫌われているわけですが…)
2020-06-05 Unicode 14 トト文字
次のバージョンの Unicode で追加予定の新しい文字システムは、今のところ一つだけ。「トト文字」というもの。マニアでも聞いたことがないような、珍しい文字。(その他、新しい絵文字が追加されるかもしれない。)
トト語(Toto language)は、中国語・チベット語・ビルマ語などと同系のマイノリティー言語。現在、インドのたった一つの村で使われているという。村の名前はトトパラ(Totopara: ベンガル語では、二つの t と r はそり舌音)。西ベンガル州・北部、ブータン国境に近い。
こんなマイナー言語に、2015年、独自の文字システムが生まれた! なぜ普通にラテン文字かベンガル文字を採用しなかったのか? 「自分たちの文字」が欲しかったのかもしれない(カナダの先住民族でもそういうパターンがありますよね)。文字は「クルクル系」で、ちょっとかわいい。
既にPUA(フォント依存のコードポイント=私的に自由に使える)を使ったフォントもあるみたいだが、Unicode 14 では、公式に U+1E290
以降に追加される予定。詳細については UTC Document Register for 2019 の L2/19-278 と L2/19-330 参照。
その Unicode 14 だが、COVID-19 の影響で、当初の予定よりリリースが遅れるらしい。
COVID-19 というのは、風邪の一種で、現在、世界中で大流行している。大ざっぱに言うと「インフルエンザのようなもの」。かかっても命に別条なく自然に治る人も多いようだが、それが原因で死んでしまう人もいる。そんな怖い風邪がうつると困る → 人が集まるとうつる確率が増える…という考えから、Unicode の仕様を決める国際会議もやむなく延期ということらしい。Unicode 規格が風邪の影響を受けるというのは変な話だが、まあ、世の中いろんなことが起きるもの。そんな重大な事態なので、きっと多くの国々で大ニュースになっているのだろう。世の中ニュースを見ない人もいるし、数年後このメモを読む人には何のことだか分からないかもしれないので、そういうことがあったということを記録しておきたい。
ニュースを見ないのも、そう悪いことではない。毎日2時間テレビを見る人に比べ、1年につき、まるまる24時間×30日の自由時間が手に入る。普通の人の12年間が13年間相当になり、自動的に人生が約1割、増える。もちろん価値観はいろいろなので、テレビの視聴やおしゃべりが生きがい!という人は、その生きがいを追求すればいい。トト文字って何だろう…と、何の役にも立たないようなことを調べる無駄さと、どっちもどっちかも(笑)。
上記の「トト語」のページを見ていたら、数字の1、2、3、4、5は「イ、ニ、スン、ディ、ガ」(i, ni, suŋ, di, ŋa)だそうです。日本語(イチ、ニ、サン、シ、ゴ)の方言と言っても通用するような…。中国語「イー、アー、サン、スー、ウー」の遠い親戚なんでしょうけど、なぜかより日本語っぽい。不思議な偶然?
2020-10-25 ラッセルのパラドックス
「この戦争が終わったら…おれはあの世にいるんだ」
2020-12-16 「詳しい人」はかえって説明できない、という矛盾
皆さんの多くは、恐らく意識しないで、普通に日本語を使えるだろう。客観的に言えば「日本語に詳しい」わけである。
ところが「どうすれば、そんなふうに日本語を使えるようになるのですか」と質問された場合、ほとんどの人は説明できないだろう。とりあえず「ひらがなとカタカナを覚えるのが出発点…ついでに基本的な漢字も…」くらいは思い付くかもしれない。「ツ」はカタカナの「つ」で「シ」はカタカナの「し」です…と当たり前のように説明でき、意識せず一目で分かるだろうが、入門者から見ると全然一目で分からない。「ツ」と「シ」や「ソ」と「ン」の関係は「わざとややこしくしている」としか思えない。「靭」と「靱」の区別など、もはやイライラしてくる。
一般論として、本人が内容を熟知しているからこそ、相手の感覚と乖離(かいり)してしまい、分かりやすく説明できないというパラドックスがある。予備知識のある本人にとっては「当たり前」のことが、予備知識のない相手には見通せない。
さて、逆の立場を考えてみよう。「極限とは任意の正のεに対してδが存在して…」とか、「代数の基本は群であり大きく分けるとアーベル群と非アーベル群…」とか、「素因数分解の一意性が成り立つかどうかは極めて基本的かつ重要な問題で…」というのは、説明する人・内容を知っている人にとっては、ごく当たり前のことだが、学習者から見ると、全くもって無味乾燥。表面的意味は分かるとしても、何でそんなことを考えるのか?と思ってしまう。
「とても詳しい」からといって「相手が分かるように説明できるとは限らない」こと、むしろ「詳しいからこそ、うまく説明できない場合がある」ということは、重大な問題だと思われる。
2020-12-29 アントニヌスの長城(英国、スコットランド)
万里の長城と双璧を成す壁。西暦140年ごろ、ローマ皇帝アントニヌス・ピウスの命により着工されたという。
cc-by-sa/2.0 by Chris Upson
全長60キロのその壁は、ローマ帝国の領土の拡大ぶり・繁栄ぶりを象徴しているかのようだが、実際には、北方からのカレドニアの侵攻を抑えるための「守りのとりで」だった。
しかし鉄壁のディフェンス、完璧な防衛ラインなどというものは存在しない。ローマ人は領土を確保するどころか、この壁を放棄して撤退してしまった。残されたのは、壁の残骸。盛者必衰は歴史の常。
というわけで「壁」と「璧」は紛らわしいので、何とかしてほしい…
2021-01-01 PNGは減色すると縮むとは限らない
考えてみると当たり前のことかもしれないが、品質重視の減色をすると、ディザリング等で色違いのピクセルの配列が「モザイク状」=「よりランダム」になって、状況によっては、かえって圧縮しにくくなることもある。下記は41色(画像の内容はどうでもいい。ある記事の説明用)。6370バイト。
41色も使う必要ない画像なので、ルーティーンに16色に減色すると…。主観的な見た目はほとんど変わらず「節約」できるように思えるのだが、実際には6855バイトに増えてしまった!
品質軽視で単純減色すれば縮むのだが(5680バイト)、この場合、見た目が劣化し、約1キロバイト節約とのトレードオフが割が合うかは、微妙。
これらのPNG画像は、pngrewrite
+ pngout
によって同条件で最適化されている。本質的にほぼ最適状態での比較。他ツールや、もっと時間がかかるオプションを試せば、あと数十バイトくらい縮むかもしれないが、数十バイトのためにそこまでしたくないし、「品質重視の減色は、かえってサイズを増大させることがある」という結論は変わらないだろう。
画像自体をもっときれいに作れば縮むだろうが、それはそれ。