2 : 02 悩むあほうに悩まぬあほう

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至るところ青山 (チラ裏3題)

2019年 4月14日
記事ID e90414

3丁目が見えない理由(先行きの不安)は、1丁目にいるからで、2丁目まで行けば自然と選択肢は狭まる。

  1. 至るところ青山
  2. 吾輩は猫である
  3. 君は山が好きか

至るところ青山

2019-04-04 至るところ青山 3丁目が見えない理由(先行きの不安)は、1丁目にいるからで、2丁目まで行けば自然と選択肢は狭まる。峠まで行けば峠の先は自然と分かるし、行かなきゃ道の状態・倒木の有無が分かるわけない。

とりあえず尾根に出て…って当たり前みたいに考えるけど、まぁそこに行く前に滑落するかもしれないし、落石にやられるかもしれない。ずっと山行を続ければ、どのみちいつかは何か起きる。この「山」から生きては出られない…。だったら、のんきに今日の景色を楽しんで、鳥の声に耳を傾けた方がトクじゃね? 甘い広葉樹・苦い針葉樹の匂いをかいで、獣におびえながら「水って何でこんなにおいしんだろ。ただの塩むすびが、あり得ないうまさになる不思議。山って神じゃね?」みたいな。悩むあほうに悩まぬあほう、同じアホなら楽しまなきゃ損々。

生存は手段で目的じゃない。

茶道なんて興味ないのに「お茶の先生のウェブページを見る必要があるな」という気がした。おみくじみたいに「偶然そこにある言葉に、意味を見いだす」のだろう。適当に開いたら「随処作主、立処皆真」「随処楽」と書かれていた。なるほど、そんなカッチョイイ言葉があるのか…。それに引き換え「同じアホなら」というのは、それこそアホな表現だが、まあいい(既にやったことでは後悔しない主義)。

「随処に楽しむ」=飲み水がある・銃弾が飛んでこない…等々の条件が整った上での、ぜいたくな話かもしれない。

「満足な豚より悩めるソクラテス」というが「悩んでいた問題をすっきり解決したソクラテス」はさらに良い。どんな偉大な哲学であろうと、たった10行にも満たないユークリッドの証明の、足元にも及ばない。

吾輩は猫である

2019-04-08 吾輩は猫である。我が辞書に「昨日の失敗」は無い。我が辞書に「明日の食事」は無い。吾輩は今を最大化させる。逆さまに投げ出されても問題ない。事実、世界の正しい上下方向というのは、吾輩の立つ向きのことである。

他サイトの記事「始まりの日」(広告あり)を紹介したときの副産物。「始まりの日」が全体としてどうこう…というのではないが「もう、明日のために今日を生きるのはやめよう」というのは含蓄のある文だなぁと感じ、オマージュ的なものを書いてみた。そういえば、高名なとあるシリア学者について「世界ランキングに入るようなポーカーの大名人」といううわさを聞いたことがある。ユダヤ教のラビのような偉い人(?)が、同時に賭けポーカーの名人? ホントだったら漫画の設定(ヘルシングっぽい)みたいだ(笑)。聖と俗を超越して、観自在。

君は山が好きか

君は山が好きか。山屋なら、山で死ねれば本望だろう。そうだろう、病院のベッドなんかより、ずっといい。

君は人生が好きか。人生が好きなら、人生で死ねれば本望だろう。それとも貝やミノムシとして死にたいか。

君は人生が嫌いか。嫌いなら、それが終わればうれしいだろう。大丈夫、心配しなくても、君の人生の打ち切りは既に決定している。

何も深遠なことなどない。普通に論理的に考えて、どの道筋でも問題ない。

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不死ではないから星は輝く (チラ裏3題)

2019年 4月14日
記事ID e90414a

「核融合には燃料が必要。燃料を使い果たせば反応は止まる」という当たり前のことを言い換えると「いつかは終わるから今輝いている」。

巨大な星の壮絶な最期は、超新星の誕生。

それは「長い時間をかけて、星の中で作られた原子たち」を宇宙にばらまくこと。究極の共有。「アンパンマンのマーチ」のようでもある。「光る星は消える。だから君はいくんだ、ほほえんで」

  1. 詩神の竪琴
  2. 永谷園のさけ茶づけ
  3. キーワードでは検索できない

詩神の竪琴

2019-04-07 宮沢賢治の一部の文章は名作だが、宮沢賢治自身はただの人で、いくら彼の作品でも駄作は駄作。「ホメーロスだって居眠りする」し、ベートーベンにも駄作はある。

必ずしも「名作・駄作」という区分があるわけではなく、ある時点での受け手の気分に「合う・合わない」という相性問題かもしれない。

詩神の竪琴であることは特権や恵みではなく、逃れられない束縛。楽器に「自分の意思」なんて認められない。物理的に壊れたり調律が狂ったりもする。向こうから来ること・来ないことは向こうの都合。ミューズに仕えるのは「必要なだけ、必要なように、しもべをお使いください。いつでもお捨てください。消耗品のはしためです」という奴隷契約。「人気があるから書け」と言われて無理やり書いた続編がつまらないのも、そういう理屈かも。

2019-04-09 ほとんどすべてのウェブページが「広告メディア」に成り下がってしまった。主要な検索エンジンは「ターゲティングのためのスパイ装置」に。ユーザーは「情報の媒介者」から「お金の媒介者」に。今の人は「物心ついたとき、既にこうだった。世界とはこういうもの」と認識しているのだろう。予感は10年以上前からあった。1営利企業が「世界の形」を定義する恐ろしい世界。

われわれは下っ端といえどもミューズのかんなぎであり、ウェブページはムーサイの「プチ」神殿。神聖な場所に泥棒が侵入しようとするなら、神殿の管理者はこれに抵抗しなければなるまい。たとえ蟷螂(とうろう)の斧(おの)であろうとも。DuckDuckGo を(できれば .onion で)使ってほしい。G に取り込まれてしまって脱出不能な人は、せめてオランダの startpage.com を(ixquick 時代と比べると、あまり信用できないが…)。

startpage.com は G のプロキシのようなもの。G を直接使うよりは、ましかもしれないが、お勧めはできない。

永谷園のさけ茶づけ

2019-04-10 何年か前、ニューヨーク版ペシタのスキャン全ページに社名ロゴが入っているのを見て、ますます G を信じられなくなった。例えばの話「永谷園」が著作権切れ図書のスキャンを提供したとして、聖書の全ページに「永谷園のさけ茶づけ」などという宣伝を書き込むだろうか。別に宗教心がなくても、常識の問題として、普通の日本人なら考えもしない行為だろう…。しかもスキャンの品質がひどい。

JPEG画像1: 聖書のテキストの上に広告ロゴが印刷されている。
ルカ3:19/20(ペシタ) くしくも「牢屋に閉じ込めた」という部分の上に、汚い広告ロゴ。
聖書のページを売名・広告に使うという発想が、どうにも分からない。
実用上も、点が重要なシリア語テキストにおいて、粒々のランダムノイズが迷惑。

G のシリア語関係はいつもこんな感じで、悲しくなる…。何でも広告媒体・金儲けの道具、という嫌な世界。宗教の是非はともかくとして、ギーターや仏典や聖書の上に、わざわざコーヒーカップを置いたりするものではない。

JPEG画像2: 画像1と同じページの同じ部分。ロゴはなく高画質。
ルカ3:19/20(ペシタ) ボン大学のスキャン。完璧ではないが普通にきれい。

バチカンのオンライン図書館もウォーターマークを入れている(サマリタン・タルグムの例)。パブリックドメインの人類共有の資産に、著作権マークを入れる不条理・執着心にうんざりするし、実用上もウォーターマークの下の文字が読みにくい。「情報を道具として、人間の側から支配しようとすること」を不遜と感じる。人間より長生きしている珍しい資料に対して、もう少し敬意を払ってもいいのでは…。

キーワードでは検索できない

2019-04-03 中心があるものは信頼性が低い。全てが文字通りのチラ裏(広告・儲け主義のおまけ)に成り下がることはともかくとして、中心は脆弱性。そこが落ちれば全てが落ちる。そこが画一化(情報統制)すれば全てが検閲される。明確な思想があったわけではないが、昔から直感的に大手検索エンジンの類いをよけてきた。出会う必然があれば必ず「偶然」出会うに決まっている。むしろそういうものは、中央経由では出会えない気がする。

多数派にとっては多数決(?)の結果のランキングが価値観にぴったり合って、便利なんだろうけど…。

探しているものは言葉(の外形)ではないから、キーワードでは検索できない。

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