妖精の国からのお知らせ

付録

  1. 原罪について a
  2. 大乗・小乗問題 b
  3. すべてはそれで最善である c
  4. 他人の助言 d
  5. 言葉を越えて e
  6. 深さと高さ f
  7. まとめの詩 g

1. 原罪について

あなたの魂は,あなたにとっての真実を直感することができます。このことを,言葉の便宜上,「魂は神に結ばれている」「魂の感覚は神の感覚である」と言い表します。ここで神というのは,この宇宙の背後に横たわる永遠の法則のことです。真・善・美の源泉である一なるイデアのことです。

ところが,人間においては,肉の“知恵”が魂の感覚に歯向かうことができます。その結果,人間は食べ過ぎたり飲み過ぎたりします。あるいは,必要以上に減量します。また,必要以上に怠けます。肉が失われる直前になって,死の恐怖を感じます。

いずれも,自然の環境においては,人間以外の動物にはあり得ないことでしょう。これが原罪です。理論的には「肉による魂への反逆可能性」が原罪ですが,通常の言葉遣いでは,この反逆可能性ゆえに生じる葛藤の苦しみを原罪と呼んでいます。

教義論的には「アダムが知恵の実を食べたことによる刑罰」です。

原罪とはこのような「生まれつき人間が持っている肉と魂の対立」のことであって,あなたが考えているような「生まれてきたことが罪である」という意味ではありません。「生まれてきたことが罪である」「私なんか死んでしまったほうがいいのだ」と考えるその“知恵”こそが原罪の現れなのです。

真実はといえば,あなたが生まれてきたことも,その結果外形的に生じたことも,原罪どころかいかなる罪をも構成しません。「私なんか生まれてこないほうが良かったのだ」とあなたが言うなら,明らかにあなたは神を批判していることになります。神の命じたことに歯向かっています。それこそ原罪です。そんな“知恵”は捨てて,魂の思いに従いなさい。

ところで,いわゆる原罪も本当に罪であるわけではありません。魂と肉の分裂があるからこそ,すなわち肉による負荷があるからこそ,魂にとってトレーニングになるのです。負荷がなければトレーニングにはなりません。魂の成長,すなわちあなたが内面的に美しくなることが神のみこころだとすれば,そのための手段であるところの“原罪”の存在もみこころです。

2. 大乗・小乗問題

言葉のロジックに従うと,「自分の成長を求めずに,他人の霊的成長のために努力するほうが崇高なのではないか」という感じがするかも知れません。

しかし,これも錯覚です。

実際,世のため人のためとか,他人を導くとかいっても,あなた自身がまだゴールについていないのに,どうやって,どの方向へ道案内をするのですか。あなた自身がまだ登ったことのない山の頂上へ,どうやって「みんな」をガイドするのですか。

外形的には,道はひとつではありません。しかも,みな別々の地点にいます。あなたの魂が「北へ進むのが正しい」と道を示したとしても,万人にとって北が正しいのではない。そんなことでは,むしろ集団遭難のもとでしょう。

例えば,「つねに勤勉であれ」というのは普遍の真理ではありません。「勉強は良いことだ」という言葉のロジックゆえに,多くの子供が歪んだ生活を強いられています。しかし「勉強ばかりが能じゃない」というのも普遍の真理ではありません。「勉強ばかりが能じゃない」という言葉のロジックにすがって,すべきことからの逃避を正当化している人がいます。だから,あなたが「勉強ばかりが能じゃない」というメッセージソングを歌えば,みんなのためになるどころか,かえって他人の魂の成長の妨げになるかも知れないのです。

外形的行動に関するメッセージはどんなものであれ普遍の真理ではありません。そのような方法で一般の人を導こうとするなら必ず害が生じます。「よく遊び,よく学べ」なんてどこかで聞いたような折衷案を受け売りしても同じこと。そういった外形的な指示をいかに詳細に積み重ねても,普遍の真理にはいたりません。普遍というからには,各人が,さまざまな状況に応じて,自分で自分のための外形的指示を導けるようになるために必要な規則をすべて含んでいなければなりません。言わば,戒律ではなく,戒律の作り方を教えるのです。

あなたの人生の第一の目的はあなた自身の修行です。もしも「みんなを救いたい」「みんなの役に立ちたい」と思っているのなら,なおさら,まずあなた自身の修行を完成させてください。

あなたの魂に少しでも陰影が残っている限り,あなたは人々を清めることはできません。それでは汚れた手で他人の汚れを払おうとするようなものです。そんな曇った目では,何が汚れかさえ見分けられません。「まずあなたの目の中の丸太を取り除け」と言われる通りです。

3. すべてはそれで最善である

あなたの人生では,無駄なことはなにひとつ起こりません。たとえどんなにネガティブに見えることでも,それはあなたにとって絶対に必要なことばかりです。単に「無意味ではない」というばかりか,すべては極めて深い意味で「最善」なのです。

Aを選ぶか,Bを選ぶか,迷っているとします。その場合,Aを選べば,Aを選んだあなたにとっての最善のことが起こります。Bを選べば,Bを選んだあなたにとっての最善のことが起こります。Aが「あなたの真実」だったとすれば,Bを選んだあなたには「補習」のための精選問題が出題されるのです。

あなたがある課題から逃げている限り,その課題はあなたの人生において繰り返し何度も現れます。あなたがその課題を克服すれば,あなたはより高い段階へ進むことができます。これが霊的成長ということです。

あなたの人生がつまらないとしたら,それは補習ばかりで前進がないからです。あなたがあなたにとっての真実から逃げているからそうなるのです。「本当はこうすべきなのだ」とうすうす感じながら,それをしないでいるから,先へ進めないのです。

「何が自分の真実なのか」「なぜ自分は満たされないのか」を突き詰めようとせず,不満の中で目を閉ざし,耳をふさいでいるからそうなるのです。

4. 他人の助言

他人の助言を聞くべきだと思うなら聞くべきです。それは,あなたが「聞くべきだ」と思うから聞くべきなのです。直感的に「この人の話は聞くべきでない」と思われるなら,聞くべきではありません。

他人の助言に従うかどうかの最終決定は,あなたの魂に(つまりあなたの心のいちばん澄んだ部分に)ゆだねてください。肩書きのある権威者がこう言ったからこうしてみる,という行動原理では駄目です。結局はその人の言葉に従うにしても,それはあなたの魂による吟味を経てからにしなさい。

「誰々の言った通りにしてみたけれど,うまく行かなかった」といって腹を立ててはいけません。すべてはあなた自身の責任です。そうするのが正しいかどうか,前もってあなた自身の直感に照らしてみなければいけなかったのです。あなたに関することはすべて,あなたに最終決定の権利と義務と責任がゆだねられています。

5. 言葉を越えて

キリストの言葉は真理を表しています。しかし,あなたが「聖書にAと書いてある。だからAなのだ」と言うなら,たとえAが真理であるにしてもあなたは正しくない,と私たちは説きます。

逆に,「聖書にはAと書いてあるが私はBだと観じる」とあなたが言うのなら,たとえBが誤りだとしても,あなたは正しい道を歩いている,と私たちは説きます。

自分で観てください。

真理は単純ですが,どんな言葉もその切り口に過ぎません。だから言葉は絶対ではありません。

地上にあるものは,いっさい絶対視してはいけません。絶対的なのはあなたの魂だけです。他のすべては,その実在そのものからして疑わしいと観じなさい。

真理を言葉のロジックとしてとらえてはいけません。言葉は観照のための引き金,ないしは手がかりに過ぎません。花が「花」という言葉ではないのと同じことです。人が「たんぽぽは美しいでしょう」と言ったなら,あなたは「たんぽぽは美しいだろうか」とロジカルに考えるのではなく,素直な気持ちでたんぽぽを見てごらんなさい。心をひらいて風が愛撫する花の輝きを見てごらんなさい。

〈美しい〉というのは言葉です。あなたは自分で見なければなりません。〈美しい〉ってなんですか?

これは「〈美しい〉ってなんですか?」という言葉ではないんですよ。あなたの心に尋ねているのです。言葉で答えてほしいんじゃありません。見てごらんなさい。緑ってどんな色かしら? 緑は緑じゃない,なんて言ってないで,よーく見てごらんなさい。

寒いってどんな感じ? これが「寒い」って感じか。ふふふ,おもしろい。

これはあなたのこれからの人生において,とても大切なことだと思いますよ。

書物の知識によってではなく,経験にもとづく知識として観照を深めてください。そのためにこそあなたの人生はあるのです。

ユーラ・ゼーア,あなたはできあいの言葉に自分を当てはめすぎます。「原罪意識」「アトラクティブ・スマイラー」「アイアトロジェニック」――よろいの上にぺたぺたラベルを貼ってにぎやかだけど,そのよろいの中にはなにがあるの?

6. 深さと高さ

ユーラ,あなたは日記を書くべきです。日記ではなく創作ノートと呼んでも良いのです。“私について”と書き始めなさい。1日1行でもいいから本当の気持ちを綴ってごらんなさい。鉛筆とノートによって,自分の中へ潜ってゆくのです。どこまで自分を克明に直視できるか挑戦してごらんなさい。あなたは言語化によるカタルシスを体験する必要があります。

過去の細かい問題を深く追究してゆくということは,なぜその出来事が起こったのか,疑問の余地のない透明な解釈を与えるということです。人生を完全に透明化して人生の骨組みを見渡せるようにするということです。そのような高い視座を獲得するということです。

ですから,細かい問題をとことん掘り下げ,すべてを解明し,透明化してしまうことによって,あなたは高められ,神にいたることができるのです。

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まとめの詩

偽りは口に甘く,真実は口に苦い。

真実は心を満たし,偽りは心にむなしい。

〈これは闇からの誘いである。魚を釣るためのうじ虫である〉と見抜いて,離れて立ちなさい。

〈私は正しく決断した。この決断は最も厳しい自己批判にもたえられる。ゆえにこの決断は正しい〉と観じて,よりかからずに立ちなさい。

〈上には上がある。しかし私には上がない〉と観じて,まっすぐに立ちなさい。

あなたの関心をただあなたの仕事に向けよ。

世におもねることなく,高ぶることなく,低ぶることなく,その場その場でいちばん善いと思われることを,ひとつひとつ誠実に実行せよ。

心を尽くして最善の選択をせよ。

その結果が地上でどう評価されるかは,あなたとは関係のない問題である。あなたは結果に関心を持ってはならない。

〈私は神の前で働いている〉と思ってにやにやするな。 自分のためでもなく,誰のためでもなく,神のためでもなく,正しさの具現として,ただ正しいことを実行せよ。

透明であれ。

農民のように,日々ひたすら働きなさい。

星くずから星くずへ

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